ある子の記錄

新井徹

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「よう、 先生註文してくれない?」 うつむき加减で この子はとうとううつたへる 僕は知つてゐる 本屋にその本の取寄せられないわけはないといふことを 收入のないその家の家計薄を もう十分過ぎるまで飮みこんでゐる 本屋はこの子の註文を受附けてはくれないんだ 僕は僕のガマロの中から銀貨をなげうつべきであらうか 「つけてみるさ、 一體卒業までいくら引出してゆくか······ さういつて借りてゆくまゝに與へてゐる 主事の先生の態度をとるべきであらうか もしさうだつたらいつ貧乏の種はつきるんだ? (お人好しは豚に食はれろ!) 「ないわけはないさ」 その子にいひ切つたものの まだ割切れない自分の態度をどうしようもない ······すると丁度指定の本屋がやつてきた 「さあ、 ぢかに賴みたまへ!」 「よう、 先生賴んでよう······ 態度のあはれつぽさにひかれてゐると 僕のガマロはからつぽになる 「自分で賴むんだよ、 自分で!」 體をくねらせながらその子はたのんだ 「おや、 この子はまだだつたんだらうか」 といつた顏で本屋はきいてゐる たのめば早いものさ 翌日本屋は持つてくる 「お金は?」 「持つてきてないよ」 その子は主事の先生の机に近づく 「いくらなんだよ?」 またかと、 併しいくらか事務的に、 ガマロはひらかれる その子はいくらか微笑みながら本を受取つてかけてゆく 搜業時間になると近寄つていふんだ 「先生、 もう本が來たから、 この次からあててもいゝよ」 それだのに僕は與へやうがなかつたんだ 主事の先生はいつもいふ 『思ひ切つて小僧に出せばいいんだらうが インテリは思ひ切れないん だね」 一個、 限界性といふのはテコでも動かないやつだらうか そいつは、 とかく「宿命」といふ言葉で呼ばれ勝ちだが しかし、 人間てやつは 流があれば泳いで、 巖があれば攀ぢのぼつて 智慧者は橋を渡したり梯子を掛けたり ずるい奴は船にこつそりしのびこんだり、 人の脚にぶらさがつたり 何とか彼とかして生きてゆく道を求める- といふ道理はこの子にだつてまざまざとあらはれる 單に學校だけのことではない 街頭の書棚にだつてあらはれる あるとき、 古本屋で僕は校印のある本を發見した 學校で探しに探してゐた、 まぎれもないその本 「ふふん!」と鼻を鳴らしてその日は歸る 法律は正當だ- 盜品は以前の所有者に無償で歸る 故賣は古本屋をいためつける 泥坊は一體どこにゐるんだらう どんなにこわい顏をした奴なんだらう しかし、 もしかそれが子供であつたとしたら 法律はあまりに棘の多い鞭だ 感化院は法律からどれだけ進歩してゐるか ·····翌日はまた一年坊主が蒼ざめてゐる 六十何錢入のガマロがパスもろとも行方不明になつたのだ あれやこれやいろいろ話しあふ 主事の先生の顏面筋肉がびりつぴりつと電氣にふれてゐる とにかく、 放課後昨日の本屋に寄ると、 てつきりあの子だ 本も買へないあの子だ 堂々と本名で賣り込んでゐる 「それにしちや餘り大膽すぎますね 學校から貰ふんだといつてましたよ 不審には思つたんですが······ 自由に持出せるやうになつてるんですか」 「さう!自由に持出せます しかし、 事情は色々複難してるでせう」 本を賣却値段で買戾す 帳面には何と度々やつてきたこの子の記錄があるだらう この子の亡いお父さんが殘していつたと思はれる本 お母さんがこの子をいかに立派に育てあげようかとして讀んだと思はれ る本 そして見つからなかつた學校の本の數々が書かれてゐる 今日のガマロのひももまたこの子につながれてゐるのではないか しかしあけつばなしのやり方はそれを否定する どんな子供がどんな社會のやぶれ目を背負つてゐるか 聰明な〓師だつてなかなか見破れるものぢやない とにもかく、 事實を主事の先生に報〓する それに基づいてその子と母親が呼び出され 主事の先生の前で悲劇が行はれる······ 取調べはその子とガマ口とを引離した いつだつたらう 例の林の道でとぼとぼと登校するその子と一緒になつたつけ 「何だ?元氣なささうぢやないか」 「うん、 ごはんたべてないから」 「工合惡いんかね、 お母さんは-」 「うん、 いつだつて休んでるんだもの」 お父さんが亡くなつて幾年 朝起きあがるはりも失つてしまつたお母さんなんだらうか 自分のために鶏を飼つたりなぞしたのもしくじつてしまつて 日曜學校の先生をしてるといふこのごろ その朝もお畫辨當を持つてはゐない その子のしをれかへつてかしげた顏が

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