羽虫

池田克己

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ジ、 ジ、 ジ といふ羽虫の音がすると思つてゐたら天井に薔 薇に咲いて燃えてゐるネヲン、 サインなのだ。 それがこうして向ひ合つてゐる君の顔を、 三色版の下刷のやうに 何か力ないものにしてゐた。 燃えてゐる强い赤光が唇と頰の紅を奪 つてゐるのだ。 女の物語りはしめやかであつた。 顏を心持ちうつむけて、 指先き では袖をいじくり、 つるんつるん漢をすゝり上げる風情は、 自分の 心にも暗澹と暮れ沈むものをおいた。 女は野の少女にも見えた。 け れども不圖自分の指が何心なく前の盃に觸れた時、 女は愕然たる思 ひを自分に投げつけ打變つて行つた。 女は生々と肉体のしなを甦ら せ、 いと安々と德利を持ち上げてゐるのだ。 それは自分に劣情を强 ひるかにさへ見えた。 あれはやつばり羽虫の音と聞いてゐてよかつたにちがひない。 自 分はあながち現實の苛酷をのみ嘆いておれぬ思ひであつた。

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