城ヶ島の落日
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太陽が落ちかゝつた。大きな大きな大火輪が、
炎々と思ひあまつて廻転する。
雲は微塵気も無いが、虚空にはたゞ、
渦まく黄金色の光ばかりが響き廻る。
その下に真碧な海が波うつ。輝き返る。
無窮に無辺際に円く円く遥かに。
さく/\、さく/\、※寂するとまた、
さく/\、さく/\、……
山の下では一心に誰かゞ草を刈つてゆく。
波の音にもうち消されないで、その音が
四辺に響き返る、さく/\、……
刈らずにゐられないで刈る、鎌が
触りさへすれば火が出さうに動いてゆく。
夕方だし、外に人間はゐないし、全く
心の底から、力いつぱいに動いてゆく。さく/\……
『凪だね、まるで海がならした地面のやうだ。
こんな上天気はこの城ヶ島にも滅多に無え。
彼岸だといふのに、暑いことはこれ、
腕も両足も汗でびつしよりだ。
やあ、えゝら、大かいお天道さんだなあ、
何の事、まるで朱盆をぶん廻すやうだぞ。』
男が網小屋の横から手を翳す、と海には
鵜の鳥が数百羽、
雌鳥を追つかけて一直線に翔けてゆく、
たちまち、朱の波の間に吸はれる。
くわつと四方八方が明るくなる。
不思議な日だ。たつた舟が一つ、
前面を一心に漕いでゆく。波が飛沫をあげる。
大きな大きな人間が
くつきりと黒く、金色に浮きあがる。と、
遥かに目路から細い岬が尖りだす。
日輪が廻る、廻る、廻る、恐そろしいほど真赤な太陽が
今こそ心の心から輝く。三つ四つ五つ、
二十、三十、五十、
はては空いつぱいに飛び廻る真蒼な太陽の幻覚。
海を見れば海にも団々。
山を振りかへれば山には更に緑色の大火輪が団々、閃々、
輝く草の傾斜を転がり廻る。何たる壮観。
男はやつこらさと、刈草を脊負つた。
幻覚が納まると、朱紅のやうに
落つきかへつた太陽がまん円く、平べつたく、
大きく大きく、伊豆の岬へ落ちる。
今まで輝き狂つてゐた空の下から
在る可き山が在る可き処に確乎と姿を曳きはへる、
太陽が紅く/\、その向ふには入つてゆく。……
悲しい悲しい底光の赤金光、
三角の頂点。
波が一時に騒めいて渚に寄せる。……
而して何時かしら何かを計画むでゐたある力が
周囲から暗く、鼠色に圧し寄せる。
灰と赤の鋸のギザ/\雲が一線、
遠い岬に曳きはへる、と、余光の火焔が
更にパツと虚空の八方に反射する。
『愈々沈まつしやつたゞ、南無阿弥陀仏。』
男が丘の上へ登りきつて了ふと、
今まで目にも見えなかつた沖の小舟が、
黒胡麻のやうにチラ/\、チラ/\、
遥かに一列綴られてゆく、千も万も、幽かに幽かに、
――生活むきが立たねば、夜も遅くまで、
泣いて烏賊つる、その舟の火の、やゝありて、イルミネエシヨン。
断崖の松の木に
月ほそくかゝりたり、
ほそき月、
金無垢の月。
入海の波間にも
また、月はしづきゆく
沈々と
金の鈎。
金無垢のするどさよ、
絹灑の雨ののち、
しんじつに
走りいづるその蒼さ。
島黒く、海黒き
真の闇、
舟ひとつすゝみゆく、
そのうへにほそき月。
なにかわかね、
魚族は目をさまし、
鈴虫は一心に鳴きしきる。
虔の極まり。
闇の夜は断崖も、松の木も、
かげわかず、ゆく舟も見えわかず、
ただ光るほそき月、
金無垢のほそき月。
金光燦爛たる夜の海のほとり、
虔ましき胸壁の中、いと暗き芝生のあたり、
鰻はめざめつ、囚はれの身より逃れて
今こそ動け、幽かなる声の声、響の響。
空には金無垢のほそき新月、
大きなる銀星連れて走りゆく、気も澄むばかり、
その時鰻は転び出づ、鰻ならでは
そのうれしさを誰か知らむ、鰻はすべる。
鰻のすべるは蛇のすべるに異ならねど、
こはもと海のものなれば、陸には馴れず、
凡て寂しく、痛々しく、草につまづき、
闇に燃え立つくれなゐの花にからまる。
鰻はさあれ一心にゆり動く、驚喜のあまり、
花より花をすりぬけつ、泣かむばかりに、
現はれ歎けばをりをり金の鰻となり、
をりをり消えては草葉の露をこぼす。
深く深く、現世に命あり叡智あるもの、
皆真に光りいづべき縁あり、ただの鰻も
ここに万歓極まりて涙を落す。
この時彼方に燦爛とかがやくは大海の波。
静けさや、壮厳微妙の夜の鰻、
彼こそは実に光り滾るる力の電池、
渾身これ滑りながるる精霊の姿そのまま、
闇を飛び越え、また、燃え立つくれなゐの花を飛び超ゆ。
雨はふる、ふる雨の霞がくれに
ひとすぢの煙立つ、誰が生活ぞ、
銀鼠にからみゆく古代紫、
その空に城ヶ島近く横たふ。
なべてみな空なりや、海の面に
輪をかくは水脈のすぢ、あるは離れて
しみじみと泣きわかれゆく、
その上にあるかなきふる雨の脚。
遥なる岬には波もしぶけど、
絹漉の雨の中、蜑小舟ゆたにたゆたふ。
棹あげてかぢめ採りゐる
北斎の蓑と笠、中にかすみて
一心に網うつは安からぬけふ日の惑ひ。
さるにてもうれしきは浮世なりけり。
雨の中、をりをりに雲を透かして
さ緑に投げかくる金の光は
また雨に忍び入る。音には刻めど
絶えて影せぬ鶺鴒のこゑをたよりに。
波は高くうねる、をりをり、
曇つた燻銀の中から
金の蹠をちらつかす。
可憐に、寂しく。
白い太陽が
海の空にある。
限りもない波は波のうへに重なり、
光は光のうへに暗く、
倦怠と愁が重なる。
ゆるく吹いてくる風にも、
恍惚と、
悩ましいものがある。
人間のえしらぬ匂が。
波がなだれる、無数の
女が仰向になる、
ふくらかな胸が白く
幅いつぱい反りあがる、と、そろつて
うしろへなだれる、
股が浮く、蹠が
金いろにちらつく。
いつまでもいつまでも、
波は波に重なり、
光は光に重なる、
陰影の上に暗く。
波は高くうねる、をりをり
曇つた燻銀の中から
金の蹠をちらつかす、
可憐に、寂しく。
海雀、海雀、
銀の点点、海雀、
波ゆりくればゆりあげて、
波ひきゆけばかげ失する、
海雀、海雀、
銀の点点、海雀。
帆が辷る、その数が凡そ七八十、
はじめ白く、閃閃と黄色く、赤く、
晴れわたつた大海の真中に
帆が辷る、自然と一つの輪が出来る。
何時か、大きな帆の女王を中心に
遂に白く白く旋転する。
その上に日光の五色の反射。
帆が辷る、遥かの鋸形の連山から、空には、
薔薇いろの霞が流れこみ、夏の雲が、
むくむくと銀と灰とに湧きあがる。
帆が辷る、だんだん沖の方へ走つてゆく、
帆が辷る無窮に、無辺際に。
藍碧の円い海が拡がる。
その間を帆が走る、輪を作つて、一斉に、
独楽のやうに廻り出す。
何らかの力が底から加はる。
帆が廻る、廻るうちに、帆の側面が
何か強い力で内にひかれる……、波が時時、
思ひあまつて飛沫をあげる。
而も日中、晴れわたつた壮厳微妙の海に、
一心に帆が廻る。光と輪との舞踏。
帆が辷る、何処へゆくのか、辷つてゆく。
恐ろしい力で辷つて行く。
密集し、旋転し、
離れ去らむとし
今や今や廻り澄まうとして
言葉も、色も、光も、
感極まつた霊の法悦。
帆が辷る、何処へゆくのか、辷つてゆく、
恐ろしい力で辷つてゆく。
燦爛と世界が光る、さうして
深く黙した油壺の入江に
青い銀の笑がはぢぎれると、また
漣は心の底から
岸辺の小舟をうちゆるがす。
いつまでもいつまでもゆるがす、
不変にうつくしく。
あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。
ただ寂然と、無言の
大きな笑が空に伝はる。……
其処には白金の日輪が小さく
ただ光つて廻るばかし、
時折、微風が翼をかへして
雪のやうに散乱する。
いつまでもいつまでもあるかなく、
いつまでもうつくしく。
裸の子供も心の底から
あづけた身体をうちゆるがす、
たつた、ひとり。纜つた舟から
辷りかかつた櫓櫂が波を擽ぐる、
いつまでもいつまでも擽ぐる、
不変にうつくしく。
あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。
何処かで環が鳴る、
岸と舟とを纜つた綱が、
何かの環をひつぱるのだ。
心がゆらげばゆらぐほど、
小舟がゆらげばゆらぐほど、
環が鳴る、何かしら鳴る。
いつまでもいつまでもたよりなく、
何かしらうつくしく。
あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。
漣は心の底から
子供の小舟をうちゆるがす。
頭の上には暗い大きな松が
むかしむかしの話をする。
その松には鳥がゐる。
いつまでもいつまでもうつくしく、
たつた一羽、うつくしく。
あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。
小舟がゆらげばお臍がゆらぐ、
お臍がゆらげば小舟がゆらぐ、
いつまでもいつまでも恐ろしく、
いつまでもただ一人。
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