禮拜

上田敏

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さても千八百九年、サラゴサの戰、 われ時に軍曹なりき。此日慘憺を極む。 街既に落ちて、家を圍むに、 閉ぢたる戸毎に不順の色見え、 鐵火、窓より降りしきれば、 「憎つくき僧徒の振舞」と かたみに低く罵りつ。 明方よりの合戰に 眼は硝煙に血走りて、 舌には苦がき紙筒を 噛み切る口の黒くとも、 奮鬪の氣はいや益しに、 勢猛に追ひ迫り、 黒衣長袍ふち廣き帽を狙撃す。 狹き小路の行進に とざま、かうざま顧みがち、 われ軍曹の任にしあれば、 精兵從へ推しゆく折りしも、 忽然として中天赤く、 鑛爐の紅舌さながらに、 虐殺せらるゝ婦女の聲、 遙かには轟々の音とよもして、 歩毎に伏屍累々たり。 屈でくぐる軒下を 出でくる時は銃劍の 鮮血淋漓たる兵が、 血紅に染みし指をもて、 壁に十字を書置くは、 敵潛めるを示すなり。 鼓うたせず、足重く、 將校たちは色曇り、 さすが、手練の舊兵も、 落居ぬけはひに、寄添ひて、 新兵もどきの胸さわぎ。 忽ち、とある曲角に、 援兵と呼ぶ佛語の一聲、 それ、戰友の危急ぞと、 驅けつけ見れば、きたなしや、 日常は猛けき勇士等も、 精舍の段の前面に たゞ僧兵の二十人、 圓頂の黒鬼に、くひとめらる。 眞白の十字胸につけ、 靴無き足の凜々しさよ、 血染の腕卷きあげて、 大十字架にて、うちかゝる。 慘絶、壯絶。それと一齊射撃にて、 やがては掃蕩したりしが、 冷然として、殘忍に、軍は倦みたり。 皆心中に疾しくて、 とかくに殺戮したれども、 醜行已に爲し了はり、 密雲漸く散ずれば、 積みかさなれる屍より 階かけて、紅流れ、 そのうしろ樓門聳ゆ、巍然として鬱たり。 燈明くらがりに金色の星ときらめき、 香爐かぐはしく、靜寂の香を放ちぬ。 殿上、奧深く、神壇に對ひ、 歌樓のうち、やさけびの音しらぬ顏、 蕭やかに勤行營む白髮長身の僧。 噫けふもなほ俤にして浮びこそすれ、 モオル𢌞廊の古院、 黒衣僧兵のかばね、 天日、石だゝみを照らして、 紅流に烟たち、 朧々たる低き戸の框に、 立つや老僧。 神壇龕のやうに輝き、 唖然としてすくみしわれらのうつけ姿。 げにや當年の己は 空恐ろしくも信心無く、 或日精舍の奪掠に 負けじ心の意氣張づよく 神壇近き御燈に 煙草つけたる亂行者、 上反鬢に氣負みせ、 一歩も讓らぬ氣象のわれも、 たゞ此僧の髮白く白く 神寂びたるに畏みぬ。 「打て」と士官は號令す。 誰有て動く者無し。 僧は確に聞きたらむも、 さあらぬ素振神々しく、 聖水大盤を捧げてふりむく。 ミサ禮拜半に達し、 司僧むき直る祝福の時、 腕は伸べて鶴翼のやう、 衆皆一歩たじろきぬ。 僧はすこしもふるへずに 信徒の前に立てるやう、 妙音澱なく、和讚を咏じて、 「歸命頂禮」の歌、常に異らず、 聲もほがらに、     「全能の神、爾等を憐み給ふ。」 またもや、一聲あらゝかに 「うて」と士官の號令に 進みいでたる一卒は 隊中有名の卑怯者、 銃執りなほして發砲す。 老僧、色は蒼みしが、 沈勇の眼明らかに、 祈りつゞけぬ、     「父と子と。」 續いて更に一發は、 狂氣のさたか、血迷か、 とかくに業は了りたり。 僧は隻腕、壇にもたれ、 明いたる手にて祝福し、 黄金盤も重たげに、 虚空に恩赦の印を切りて、 音聲こそは微なれ、 ※たる堂上とほりよく、 瞑目のうち述ぶるやう、     「聖靈と。」 かくて仆れぬ、禮拜の事了りて。 盤は三たび、床上に跳りぬ。 事に慣れたる老兵も、 胸に鬼胎をかき抱き 足に兵器を投げ棄てて われとも知らず膝つきぬ、 醜行のまのあたり、 殉教僧のまのあたり。 聊爾なりや「アアメン」と うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。

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