西原先生のオンライン講演会、議事録公開

昨年開催したこちらの講演会の文字起こしを一部公開します。アーカイブの動画と記事全編は会員限定コンテンツになります。
西原先生に直接お会いしお話をお伺いできる機会として文学散歩がございます。是非お申し込みください。

【1月13日】近現代詩研究者と歩く駒場~渋谷 文学散歩

駒場の日本近代文学館を見学した後、渋谷へ移動、与謝野晶子歌碑、竹久夢二旧居跡、山路愛山終焉の地などを巡ります。現在の渋谷駅周辺にはかつて、多くの文人たちが居を…

はじめに〜会の目的と導入〜

詩のファンを増やすことの難しさ
→詩の本物の魅力を伝えるにはどうしたらよいか?
著作権が保護されている作品は扱いづらい
→詩の教科書的なものが必要

西原先生は東京外国語大学の教授をされている。ご自身も詩を書かれている。ぜひ、著書を講座で使わせていただきたいという連絡をしたところ、詩を盛り上げるために一緒にやっていきましょうと言っていただいて、この場を設けた。

私は西原先生の講義にお邪魔して勉強になったが、一度オンラインで時間をいただいて著書の発行の理由や自費出版の背景などをざっくばらんに話していただければと思っている。聞き手の方は出版社へのインタビューイベントや対話の活動などをしていたため、適任だと考えた。

聞き手:よろしくお願いします。詩の本を書店で見かけることはあまりないが、詩は昔の方が人気があったのだろうか?

西原(以下敬称略):吉祥寺に住んでおり、ジュンク堂によく行くが、2フロアあるうちに詩のところに人がいるのをあまり見かけない。人がいると、どんな本を読んでいるのだろうとつい見てしまう。それくらい閑古鳥が鳴いている状況。50年くらい前は詩のブームといわれていた。詩人も有名人が多く、学生で書く人が多かった。そのころ詩を書いていた人たちが、おじいちゃんおばあちゃんになってカルチャーセンターで書いている。すごく羨ましい。今は詩に逆風が吹いている。その頃は生まれたばかりで実感はないが、そのころの本には「52刷」とすごい。聞き手さんは詩集買ったことはあるか?

聞き手:正直詩集を買ったことはない気がする。

西原:日本で1番有名な詩人は谷川俊太郎で、30年前も谷川俊太郎だった。今は若い人ががんばっているが、今後の課題はこれからどう詩の世界を人気あるものにしていくか。これは問題意識の話をしている。詩の関係者は、研究者、出版者、読者といる。それぞれにいろいろな問題がある。今日は、詩も読まないし、美しい話もしないが、裏話としてネットにも出てこないような話題を、タブーに触れつつ話してみようと思う。

詩の研究者としての視点

西原:学生から研究者の世界とはどのように見えている?

聞き手:授業でしか会わないので、研究している姿はあまり見てなかった。いま、仕事で関わっているが、どの時間を研究に割けているのか不思議に思う。

西原:学部の学生から見えている先生の姿って、全体の10%くらい。以前自分の仕事の割合はどのようになっているのか、書き出したことがあるが、授業とその準備で10%。もっと少ないくらい。大学生は、その10%の姿を見て「これが大学か」と思っているのだろう。

研究者がどこで何をしているのか、毎日何をしているのかなどはかなりわかりづらい。今からする話はyoutubeとかネット上に出ている話なので、あまりびっくり感はないかもしれない。こんなに苦しんでいるんだという話を今から2、3分します。

大学の先生はだいたい40代以上ばかり。20代の先生はまずいないし、30代もすごく少ない。でもその世代も生きているわけで、どこで何をしているのか。大学院生は学費を払っている学生なので、収入はない。研究者なんだけど。アメリカだと博士の学生に一部お金を払っているところもあるが、日本にはそんなお金がない。博士号をとると30代だけど、そのあとすぐに仕事があるわけではなく、ポスドク・研究員・助教という仕事に就く。だいたい、1〜3年契約でクビになる。1〜3年後に必ずクビになるとわかっている30代の研究者は、この間に成果を出してなんとか次にいきたい。何を考えているかというと、のんびり詩を鑑賞していると競争に負けてしまう。学術雑誌にどんどん論文を出す。学術論文ばかり書いていて詩の鑑賞本なんか、絶対に頭が回らないはず。非常勤講師は非正規で任期があるようなないような感じだが、生活するには収入は足りない。相場としては、90分授業1コマを1年間やって30万円。30万円で1年間生活できない。5コマくらい教えても150万円だから、実家ならなんとかなるくらい。めでたく国立大学の講師になると、昔なら定年まで勤められたが、最近は任期ありで4〜5年でクビになる。ただし、一部のポストは任期後に審査してよく頑張っている人は定年までいられるように、准教授にする契約もある。その場合は学術雑誌にどんどん投稿しないと審査に通らず、クビになる。35歳とか40歳でリストラされてしまう。家族持っている人は気が気じゃない。だから、詩の鑑賞なんてできない。准教授になると定年までやれて安泰。でも、教授になるのに審査がある。ずっと准教授のままでもいい人もいるけど、大学としては教授じゃないとできない仕事があるから、准教授のまま歳を取られると大学の仕事が回らない。上の人から業績を上げろと言われて、論文ばっかり書く。必死に論文を書いて、40代後半から50歳くらいになるともう定年までいられるという、僕みたいな立場になる。けっこう歳をとっているし、大学の仕事も忙しいから、結局楽しく詩を研究している時間はない。
今若い人で、詩の鑑賞や講座とかを一般的にやろうという人はいない。こんなひどい状況。
僕の場合は、29歳で講師をやって定年までどうぞと言われたのでまだよかった。気楽にやれて良かった。

聞き手:働き始めて知ったことではあるが、若いうちは業績をきちんと示すために詩を鑑賞する時間がないというのもあるし、40歳くらいまで若手という扱いになるので、そこまでは業績第一となる。かといって、上の職になれば、その分仕事が増える。結局詩の鑑賞をする時間がない、というのを感じた。

西原:大学の中にいるとよくわかる。特に大学に行っていても、学部だとこんな感じだと知らないんじゃないか。今の話を聞いて、意外かそうでないか、スライドかzoomで答えてほしい。

聴衆:タブーな話気になる

西原:研究者の関係者は知っているけど、意外とネットとかには書かない。Youtubeなんかで喋ってる人いるけど、大体外れている。サバイブできなかった人が「こんな状況だった」と言っていることが多い。中にいる人は、余計なことを言ってマイナスになると大変だから言わない。
准教授はとてもかわいそうな状況。教授もかわいそうだが。

聞き手:そもそもポストの数が決まっていて、椅子取りゲームになっている。

西原:国立大学、特に旧帝大はポストを維持できているが、小さめの中央の大学はけっこう減らされていてきつい。私立は少子化で受験生が集まらず、だんだんポストも削っている。
けっこう、研究者に自殺者もたまにいる。人生が行き詰まってしまい、取り戻せない。悲惨な話は身近にもいて、笑い話にならない。一生無職なんじゃないか、という人もいる。
これらが詩にどう影響するか。
詩の世界にも研究者が支えているところがある。詩を取り上げて論文を書いて文章を書くというのは、その詩人の評価になる。古いものを扱うこともあるが、わりと今生きている方について何か書くと影響力がある。そういう文章を書く人がいないと、詩人もただ書いて出すだけで、学問の世界から反応なしという少し寂しい感じがする。
研究者の世界はこんなふうになっている。
言い忘れたが、今の日本で現役の研究者で詩を明治から現在まで把握している人は3人いる。1人は私。東京女子大の和田先生、60代。もう1人は、早稲田大学の坪井先生、60代。それより若い人で、中原中也や萩原朔太郎の専門家とかはいるが、全体を見ている人はいない。けっこう寂しい状況。

聞き手:3人だけというのは驚き。それほど、詩全般を研究する人は少ない?

西原:論文を書くには、1人に絞った方が書きやすい。業績を上げるにも、明治から現代史まで概論や歴史を書くのは大変。時間かかるからすぐに業績出ないし、世俗的な理由。
50年前は詩の鑑賞文を書ける研究者はたくさんいた。私は会ったことないが、有名なのは、吉田精一、関良一、分銅惇作、小海永ニとか。詩人で鑑賞文を幅広く書けるのは、草野心平、村野四郎、伊藤信吉で、彼らは勉強家で良い本を書いている。今は、詩人で、明治からの詩のおもしろい解説を書いてくれる人はいない。

出版の世界からの視点

西原:詩の魅力はたくさんあるが、書き方のコツがある。詩を書けるパターンがあるが、そういうことはあまり教えてもらえない。
詩人が詩集を出版するとなると、だいたい何部くらいだと思う?ちなみに新書は1万部くらい刷る。日本の本屋はだいたい1万店舗くらいあるので、それくらい刷らないと全書店に回らない。最近は新書を7000くらいで出してるように少なくなってるのもあるが、基本は本屋さんと同じくらいの1万。

聞き手:4、5000?

西原:そのくらいいくと大スター。多くて1000。少ないと300くらい。しかも、自費出版がほとんど。僕も詩集を7冊出しているが、1番多くて800部でほとんど知り合いに配った。少ないときは300。基本的に買う人がいない。

聞き手:1000部だと日本全国にはいかない?

西原:そうですね
自費出版で1番高くかかって200万円くらい。装丁に凝った。もちろん自腹。1番安くて、お金のないときだったので、最初の詩集は装丁もケチって、本というより冊子という感じ。20万円くらい。だいたい100万円あればできる。150万円あると帯をつけたり、ハードカバーにしたりできる。帯をつけると10万円くらい、カバーをつけると10万円くらいかかる。紙の質とかは出版社といちいち相談する。詩集出すのも大変で、自費出版も100万円くらい貯めないといけないし、出したからって読まれるとは限らない。なんて寂しい世界なんだと思う。

ここで日本名詩選の裏話をしたいと思う。
原稿ができたとき、大手出版社に打診をした。昔からの付き合いのよい編集者が「内部で検討する」と言ってくれたが、1ヶ月後くらいに申し訳なさそうに「すみませんが、できないです」と。経理関係の部署で採算を弾いたが、どう頑張っても出版できない。少し交渉したが、確実に赤字と言われたら編集者もどうにもならないと。
結果的に、出版した笠間書院には、大手でどうやっても赤になると言われたので最初から条件を掲示した。著作権の残っているものには、詩人の子孫にお金を払わないといけないので、それは私が払うという条件で出版した。30〜50万円払った。電子書籍にするとまた著作権料を払わないといけなくて、やればやるほど僕の負担が増えていく。著作権が多く生きているというのがすごい障害になっている。著作権は、詩の教室で現代の詩人のコピーを配るとまずいという話と同じ。

2018年までは死後50年間著作権が生きているという話だった。2018年TPPができて、加盟国で統一する結果1番長い70年になった。1967年以降に亡くなった人に適応されて、大正時代の武者小路実篤は1976年まで生きたので、著作権が2046年まで。もうやめてくれ、どうして武者小路実篤にお金を払わないといけないんだという感じ。堀口大学は1981年没なので、2051年まで著作権が生きている。堀口大学の詩をコピーして払うと、遺族がそんな文句を言うことはないと思うが、厳密に言うとアウト。本にすると、一篇2000円から3万円程度払えという話になる。これがつもりつもって、アンソロジーをつくると何十万というお金になるので、採算に合わないという話になる。知ってましたか?ご参加の皆さん。

西原:歳時記なんて一句一句払っていたら、事務作業が膨大だし、出版されないと思う。

 著作権法は著者を守っているか、研究を妨害しているんだか、嫌になっちゃう。小説は10行くらい抜いても、ごく一部分であるということで、払う必要はないが、詩の状況は悲惨である。

またもう一つ1番大きいのは売れない問題。詩集に限らず、研究書も売れない。鑑賞本も、僕のはまだ売れてるけど、そこそこ。笠間書院に言うなと怒られるが4000〜5000くらい。本当にささやかな規模。新書で二刷りになっている半分も売れない。読者が少ない問題。
つまり、詩の出版に関わる問題は、まず書ける研究者や詩人がいない、著作権使用料、売れないというのがある。ほとんど努力の報われない世界。
出版社がどのくらい力を入れてくれるかがけっこう大きい。出版社も何周年記念というときは太っ腹らしい。要するに何周年記念はめでたいから、赤字でもよい本を出すという機会なので、そういうときはうまくいくかもしれないけど、なかなか無い。

西原:研究者の世界も人がいない、出版も著作権の関係で厳しいという話ですね。最初に、5、60年前に詩のブームがあったと言ったが、信じられない数字。詩の鑑賞本が52刷。ちょっと桁が違うなと思って。すごい売れていると言われていた。数年前に有名な詩人の方と京都の居酒屋で話していたけど、「先生は自費出版ですか?」と聞いたら「自費出版したことない。毎回1000部はとれる。採算なんとかとれる。」と。そのとき、そのくらい有名になると売れるんだとびっくりしたけど、よく考えればたった1000部。名の知られている人は自費出版しなくてよいのだとびっくりした。本当に寂しい世界。小説家になると生活できることがあると思うけど、詩人になっても生活は成り立たないと思う。有名な詩人、茨木のり子も有名人だけど、詩では生活できていなかった。谷川俊太郎は、日本で唯一、1人か2人の詩だけで生活できている人。それはすごいことだなと思う。あるときエッセイを読んでいたら、詩は原稿料が安いと愚痴っていた。あんな売れっ子でも愚痴るのだとおもしろかった。

聞き手:詩の鑑賞本ならではの難しさ。著作権の問題も、ただ詩集を出すだけのときとは違う問題。著作権も死後何年と決まっているのは、何年までは作者(本人)に利益がいくためで、そのあとは公共の利益のために誰でも使って良いということになっていると思うが、適切な長さというのは難しい。新しい文芸活動の妨げになってしまうのは悲しい。

西原:没後70年といったら、孫、ひ孫の世代。そこまでお金払う必要はあるのかなと思うけど。孫くらいならわかるけど、ひ孫は会ったことないと思うけど。法律の問題もあるし、詩には逆風吹きまくり。前半は暗い話だったけど、ここから明るくなってきますので。

詩の読者について

西原:読者の世界について。読者いない問題。詩を書く人はそこそこいると思う。俳句短歌とは比べものにはならないけど、全国で1000人くらいは。だけど、読者はいない。平井さんも言ってたけど、詩集を出版すると書いている人同士の交換会。本屋においても売れないから、お互い送り合う。50年前は読者がたくさんいた。その方たちは7、80代になっていて、若いときが懐かしくて詩の講座、カルチャーセンターに来ていると思う。なぜ、詩の読者が減ったのか。1つは、現代詩が飽きられている。50年前の話に戻すと、若い人から7、80年代まで各世代に有名人が層になっていた。1番上には抒情詩を書いていた、七五調の伝統的な詩を書いていた人がいた。もう少し下がるとモダンな人が。もっと下がるとパンクな、ぶっ飛んでる詩を書いてる人もいた。抒情で伝統的で古風な詩を書く人から、イカれてる詩を書く若い人まですごいバラエティがあった。それはすごい読者がいた一つの理由かなと思う。読者の好きなタイプがいたが、現在はあまり多様性がない。わりと似たような詩の書き方になっていると僕は思っている。なぜそうなったか、画面共有する。近代詩と現代詩って何が違うのか。近代詩は歌う詩といわれていて、韻律があって七五調。言葉もちょっと古い。こういうものはなんで詩なのかというと、私たちが喋っている日常言語は七五調でとかではない。リズムがあって拍手を打ちながら読むので明らかに詩だとわかる。内容はともかく、リズムにのって読めると気持ちいいし、詩だなと思う。現代詩は七五調を捨てた。古い言葉はやめましょうと口語になった。すると、リズムはないし口語で書かれていると普通の文章と何が違うんだと。これを詩だと言うには、「考える詩」にしないといけない。技術的には七五調でリズムに乗っていれば、詩だとわかるけど、口語だとわからないから暗喩、比喩、わかりにくい喩えが多い。こういうのが現代詩になっているので、近代史と考え方が大きく変わる。「考える詩」を好きな人はいいけど、やっぱりちょっと難しい。人生考えたり、哲学的になっていく。暗喩は読むのに頭を使って難しい。近代詩は内容分からなくて言葉も古いけど、朗読を聞いててきもちいい。現代詩は自分の頭で考えないといけないという読者の結構無理難題を要求してくる感じになっちゃう。文語を捨てて口語を選び、リズムを捨てて自由律詩を選んだ宿命としてこうなってしまう。どうしても日常言語、わかりやすい言葉から離れていくという傾向にあって、そういうのばかりになっていくと読者はよくわからなくて、一般読者が消えていく。もちろんこういうのも必要だけど、これだけだと広い読者を集められないのではないかと思う。

恋の詩というのは、意外に現代詩は少ない。近代詩はロマンティックすぎるくらい恋の詩が多い。難し目の現代詩を読まない人はどこにいったかというと、一部の人は歌にいったのではないかと。音楽聴いて歌詞を聴いて喜ぶみたいなところにいったんじゃないか。よく考えてみると、今でも人気の詩人はいる。たとえば、金子みすず。圧倒的に人気。最近あまり言わなくなったけど昔相田みつをという人がいた。「人間だもの」とか言っていた人がいて、果たしてこの人が詩人といえるのかは疑問だが、大人気でしたね。茨木のり子は「よりかからず」とか今も結構ファンがたくさんついている。もちろん谷川俊太郎も。これらに共通してるのは「教訓」が多い。金子みすずは小さい命を大切に、優しく見つめるなんてみんな理解してるけど、実は大嘘で。私そのうち書こうと思っているのですが、「みんなちがってみんないい」という有名な詩には、多様性を大切に、みんなお互い尊重しようなんてメッセージは全くない。現代人が勝手にそう読んでいるだけ。相田みつをも「人生頑張ろう」とか、茨木のり子も教訓詩が多い。文学の世界で教訓を語るのは、もう中世の本当に古いものと研究者はみんな思っているけど、詩に教訓を求める人っているんだなと思う。需要、一種のマーケットがある。現代の詩人で教訓の詩を書こうという人はあまりいないと思うけど、「人生がんばろうよ」逆に「がんばらなくていいよ」とか、どうなんでしょうね。評価分かれる、研究者はよく評価しないと思う。

詩を、詩集を買ってくれる人はいないけど、学生に聞くと国語の教科書に出てたと言う人は多くて、1番詩に接するメディアは国語の教科書。影響力絶大で出るのと出ないとでは、知名度が大きく変わる。本屋さんの詩の棚には、閑古鳥が鳴いているが教訓の詩はニーズがあり、ふつうの人は学校の教科書で詩を読んだという記憶があるということ。

なんで詩の世界に興味持ったのか、そういうきっかけはすごい知りたい。こんな会に集まるなんてすごい不思議。

もう一つ残念なのは、高校や中学の国語の先生は詩の授業をするのは苦手。生徒の前で本音は言わないけど、詩はもうやりたくないという学校の先生が多い。理由は、教えるのが難しいから。小説、随筆、評論文だと、「こういうことが書いてある」「ここで逆接が使われていて意見がこうなっている」とか内容を説明していると授業が成り立つんだけど、詩は短いから解説する人の負担が大きい。よっぽど勉強しないと、おもしろい詩の解説はできない。これが読者の世界。現代詩が暗喩に走りすぎて、一般の人の娯楽としての詩が無くなった。今でも人気な人はいて、そういうのは教訓の詩が意外に多い。現代詩人はそれを書きたがらない。メディアとしては学校の教科書、でも先生たちは授業をあまりしたがらない。そんなような状態になっている。

特に詩の授業は中学校で盛んで、高校ではあまりやらない。大学入試には詩が出ないので、出ないものはやらなくていいという話になる。学生に聞いても、教科書で見たとか記憶に残っているというのは本を読んで、教科書を読んで記憶に残っているというのが多い。これも中学校で見た詩で記憶に残っているのありますか?と聞いてみたい。

聞き手:個人的には教訓詩が多いと言うのは身に覚えがある。相田みつをの名言集、日めくりカレンダーは実家にあって、ありがたがって使っているイメージはある。近代詩から現代詩への変遷もおもしろかったが、現代詩で口語的になって歌にいった人もいるんじゃないかと言っていたが、歌も最近になって一般の人も作れるようになって、詩だけでなく、歌詞にして歌を作る、だから、詩、言葉だけという人は少なくなっているのではないかと。

西原:テクノロジーの発達で曲が簡単に作れるようになったというのもあるし、J-popは相変わらず人気がある。昔は演歌だと、作詞家という人がいた。今はシンガーソングライターが多くて、歌詞も自分でつくってしまう。一重にお金の問題である。曲がヒットしたときに儲かったお金をどう分けるかというと、作曲家、作詞家、歌手、会社で分ける。自分で歌詞作って、曲作って、歌ったら丸取りになる。経済的な理由でシンガーソングライターが増えた。ひどい歌詞もある。昔の演歌は専門の作詞家が作っていたから、おもしろい。「天城峠」という有名な石川さゆりの演歌は聴くたびに笑ってしまう。「他人にとられるくらいなら、あなた殺していいですか」。人生うまくいっていない夫婦の歌らしいけど、「くもりガラスを手で拭いて、あなた明日が見えますか」。なんか笑っちゃう、うまいなって。そういう作詞の専門家の人って昔、すばらしい人がたくさんいた。作詞の権利も、歌手は自分でとりたい。今は作詞家がつくって、歌う歌手ってAKBとか乃木坂とかそういう人たちしかいないんじゃないか。以上、③読者の世界。

3つくらい現代詩が抱えている大変な事情があって、研究者の減少、出版の厳しさ、読者も失われている。こういう現状があってこれからどうしたらよいのかというのをこれから考えていく。
歌詞はつくるのが難しい。演歌はすごい工夫していると思う。以上読者の世界でした。

今後の詩の世界の展望について

西原:ここから急に明るい話になる。これからどうしたらよいのかという話。

現代詩は暗喩で人生や哲学を語るが、日本の詩歌の1番古い書き方は『古今和歌集』「仮名序」に紀貫之が書いている。「人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」って、人間の心を歌うんだと言っている。そこに、原点に戻ったらどうかと思う。喜び悲しみを詩に書いていくってとても大切だと思う。恋もあるし、人の死もある。やっぱり、人生を語る必要があるんじゃないかと僕は思う。技術も大切だけど、自分を晒して、素直に人生、喜びや悲しみを語る。そういう方向にいくと読者は親しみやすいのではないかと思う。

それから、普及する努力。研究者の問題でもあるが、まずは研究者が読みやすい、おもしろい本を作る。一般大衆的な読者つまり、相田みつをが好きだとかそういう人をバカにせず、取り込んでいく。そういうマーケットの開拓も必要だと思う。今みたいに詩が苦しんでいる、厳しい時期に種をまいて未来に向けて細々とつないでいく。将来大きく花開くことを信じて、いろんな分野の人が頑張っていくことが必要だと思う。ある有名な詩人にこの話をしたことがある。80代の偉い、有名な詩人は「今も詩を書く人はたくさんいる。いい詩も書いている。だけど、その人たちがそれで終わってしまって、広い読者に読まれてスターになるという次のプロセスに欠けている。才能ある人は結構いるが、その人たちを引き上げてメジャーに、有名に、多くの人に届けるという仕組みが欠けている」とおっしゃっていた。司会さん、平井さんが頑張っていることに期待している。今日若い人も多くて、いい詩も書いているので、それを発表する場所が必要。発表したら、感想を聞きたい。つまり批評してくれる人がいてほしい。そして、雑誌のような形で残って、それがもう少し広く読まれるには新人賞のようなもの。中原中也賞が一番有名らしいけれど、そういうところで賞をとっていくのを後押しする人や組織が必要だろう。たとえば、中原中也賞を若い人は取りたいけれど、とった人の中にもそれっきりになっている人は結構いる。新人賞とったあとに、「よかったね」で終わりにせず、次につなげていく仕組みも足りない。それは出版社の問題だと思うけれど、詩は売れないので新人賞をとってもなかなか次の詩集につながらないと「家庭も忙しいし、仕事も忙しいし、まあいいや」となってしまう。そこも足りないところ。できればそこからさらに多くの人に読まれるには、そのためには詩を直接読むのも必要だけど、鑑賞文・批評してくれる人がいて、それを本に書いてくれる研究者がいて…すばらしい詩が日本の共有財産になり、最後には歴史に残って有名な詩人として学校の教科書に出るところまでピラミッドのような仕組みをつくると、うまく動き出すんじゃないかと。PoetryFactoryの活動にとても期待をしています。

まずは読者をつくる努力をしたい。一般読者を取り込む。いろんな詩が必要、人生詩、抒情詩、定型詩、教訓詩なんでもあり、いろんなニーズに応えましょう。今必要なのは、誰もが知っている若いスター詩人。最果タヒさんとか頑張っているけれど、私はおじさんだからあまりピンとこなかった。そして、同時代の詩を読んで褒める批評家。かつては荒川洋治さんがやっていた。そして、近代詩・現代詩を気軽に読める本。これは僕がやるべき。詩作の講座、名詩の手口の模倣から、作り始める人のための講座。読者を育てるところから始めれば、意外に展望は開けるのではないかと思っています。

聞き手:最後は前向きな話だったと思うが、有名にしていく仕組みというのは大切だと感じた。小説だと直木賞などで有名になっていくが、詩で話題になる賞は聞かない気がするので、全体で盛り上げる仕組みが必要だと感じる。

西原:研究者だと有名になる仕組みはちゃんとある。大学院があって、学術雑誌がたくさん出ていて、学会、お金を払って呼ぶ招待講演があり、出版社も有名な先生の本は売れるから出版したいし、学者の新人向けの賞もあるし、大御所向けの賞もある。そういうのが出ると、私が知らないもっと上の世界が、最後は文化勲章に至るまで色々仕組みができていますから。そういう中である程度はまわっている。詩の世界はそういうのが途切れているから、仕組みをつくる必要がある。対面の詩の講座をやろうと思っているので、よかったら参加してみてください。

聞き手・司会:本日はどうもありがとうございました。

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