【1月13日】近現代詩研究者と歩く駒場~渋谷 文学散歩

駒場の日本近代文学館を見学した後、渋谷へ移動、与謝野晶子歌碑、竹久夢二旧居跡、山路愛山終焉の地などを巡ります。現在の渋谷駅周辺にはかつて、多くの文人たちが居を構え執筆に励んでいました。近現代文学の研究者の案内でそれらの足跡にふれてみましょう。ルートとそれぞれのスポットの見所を西原先生が簡単に解説してくださいました。ページ下部に記載します。

▲とき=1月13日(土)14時~17時(終了後任意での懇親会あり)
▲集合=井の頭線駒場東大前駅西口
▲講師=西原大輔氏(東京外国語大学教授)
▲参加費=1980円(税込・入館料込み・保険代含む)
※当日の移動費(200円前後)は各自でご負担ください。

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1、日本民芸館

「民芸」は新しく作られた言葉です。民芸運動は、柳宗悦(やなぎむねよし、1889~1961)らによって大正時代末期に始まりました。機械生産により失われつつあった、無名の職人による手仕事の生活用品を、新たに庶「民」の「芸」術として価値付けました。河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉、バーナード・リーチ、芹沢銈介、黒田辰秋らが有名です。庶民の芸術を主張したにもかかわらず、彼らはみな知識人で、作品は高額で取引されています。

2、日本近代文学館

近代文学の資料が散逸することを恐れ、高見順(1907~1965)らが設立した財団法人です。近現代詩の詩集や雑誌のうち、日本近代文学館しか保存していない文献も多く、私も大変お世話になっています。職員の方は親切で、大変有能です。複写料金は高めですが、提供しているサービスの質を考えれば、むしろ安いと感じます。

3、東京新詩社跡

鳳(ほう)晶子が大阪・堺から上京した時、与謝野鉄幹には2番目の妻林滝野(たきの)がいました。晶子が積極的に不倫をし、鉄幹を横取りした格好です。雑誌『明星』の発行所は、番町から渋谷に移ってきました。

4、与謝野晶子歌碑

「母遠うて瞳したしき西の山相模か知らず雨雲かかる」。当時の渋谷はまだ田舎で、道玄坂の上からは神奈川県の大山などが見えたのでしょう。与謝野晶子は西の方を見て、はるかな故郷・堺を思っています。

5、竹久夢二居住地跡

竹久夢二(1884~1934)は、夢見るような少女を描いた画家として知られています。一方で、詩や歌詞も多く書きました。「宵待草」は大いに歌われています。犬吠埼で長谷川カタを知った竹久夢二は、翌年夏に再び同地を訪れます。しかし、カタは既に嫁いでいました。「まてどくらせどこぬひとを/宵待草のやるせなさ//こよひは月もでぬさうな」。近年の研究では、竹久夢二の欧米旅行や台湾旅行が注目されています。

6、山路愛山居住地跡

山路愛山(1865~1917)は、北村透谷(1868~1894)との人生相渉(そうしょう)論争で知られています。旧幕臣の山路愛山は、文学を政治評論執筆事業と見なしていました。一方で北村透谷は、文学を内面的精神的なものと考えていました。論争の文章、山路愛山「頼襄(らいのぼる)を論ず」、北村透谷「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」は、『日本近代文学評論選【明治・大正篇】』岩波文庫、に収められています。

7、国木田独歩居住地跡

国木田独歩(1871~1908)は、佐々城信子との結婚生活が破綻し、寂しい渋谷村に転居します。そして、武蔵野の林を散策しながら、人生について思いをめぐらせました。名作『武蔵野』には、東京西部や多摩地区の昔の自然が美しく描かれています。武蔵境駅北方には「独歩の森」が、三鷹駅北口には文学碑があります。

8、二・二六事件慰霊碑

渋谷区役所一帯は、陸軍刑務所の敷地跡です。1936(昭和11)年に軍事反乱を起こした二・二六事件の青年将校らはこの地で処刑されました。その一人西田税(みつぎ)は、陸軍士官学校時代の詩人三好達治(1900~1964)の親友でした。1936年の「艸千里浜」は西田税を思う詩、1937年の「廃園」は、追悼の詩と解釈されています。「廃園」「あかつきの わがこころの園生(そのふ)に/おん墓あり/その日より ここにとこしへにおん墓あり/君知りたまふや/愚かなるわれがためには そは二つなき思出の奥津城(おくつき)なりと」。

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