魔のひととき(連作)

原民喜

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連作9篇の小詩篇からなります。各篇は独立した作品ページを持ちます。

青空文庫の同一ファイルに収められた9篇。表題作「魔のひととき」を先頭に置く。

1 魔のひととき

尾花の白い幻や たれこめた靄が もう 今にも滴り落ちさうな 冷えた涙のわきかへる わきかへる この魔のひとときよ とぼとぼと坂をくだり径をゆけば 人の世は声をひそめ キラキラとゆらめく泉 笑まひ泣く あえかなる顔

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2 外食食堂のうた

毎日毎日が僕は旅人なのだらうか 驟雨のあがつた明るい窓の外の鋪道を 外食食堂のテーブルに凭れて 僕はうつとりと眺めてゐる 僕を容れてくれる軒が何処にもないとしても かうしてテーブルに肘をついて憩つてゐる 昔、僕はかうした身すぎを想像だにしなかつた 明日、僕はいづこの巷に斃れるのか 今、ガラス窓のむかふに見える街路樹の明るさ

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3 讃歌

濠端の鋪道に散りこぼれる槐の花 都に夏の花は満ちあふれ心はうづくばかりに憧れる まだ邂合したばかりなのに既に別離の悲歌をおもはねばならぬ私 「時」が私に悲しみを刻みつけてしまつてゐるから おんみへの讃歌はもの静かにつづられる おんみ最も美しい幻 きはみなき天をくぐりぬける一すぢの光 破滅に瀕せる地上に奇蹟のやうに存在する おんみの存在は私にとつて最も痛い 死が死をまねき罪が罪を深めてゆく今 一すぢの光はいづこへ突抜けてゆくか

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4 感涙

まねごとの祈り終にまことと化するまで、 つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。 指の間のもれてゆくかすかなるものよ、 少年の日にもかく涙ぐみしを。 おんみによつて鍛へ上げられん、 はてのはてまで射ぬき射とめん、 両頬をつたふ涙 水晶となり、 ものみな消え去り あらはなるまで。

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5 ガリヴァの歌

必死で逃げてゆくガリヴァにとつて 巨大な雲は真紅に灼けただれ その雲の裂け目より 屍体はパラパラと転がり墜つ 轟然と憫然と宇宙は沈黙す されど後より後より追まくつてくる ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪 いかなればかくも生の恥辱に耐へて 生きながらへん と叫ばんとすれど その声は馬のいななきとなりて悶絶す

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6 家なき子のクリスマス

主よ、あわれみ給へ 家なき子のクリスマスを 今 家のない子はもはや明日も家はないでせう そして 今 家のある子らも明日は家なき子となるでせう あはれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き 破滅の一歩手前で立ちどまることを知りません 明日 ふたたび火は空より降りそそぎ 明日 ふたたび人は灼かれて死ぬでせう いづこの国も いづこの都市も ことごとく滅びるまで 悲惨はつづき繰り返すでせう あはれみ給え あはれみ給え 破滅近き日の その兆に満ち満てるクリスマスの夜のおもひを

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7 碑銘

遠き日の石に刻み     砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻

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8 風景

水のなかに火が燃え 夕靄のしめりのなかに火が燃え 枯木のなかに火が燃え 歩いてゆく星が一つ

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9 悲歌

濠端の柳にはや緑さしぐみ 雨靄につつまれて頬笑む空の下 水ははつきりと たたずまひ 私のなかに悲歌をもとめる すべての別離がさりげなく とりかはされ すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ 祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに 私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ 透明のなかに 永遠のかなたに

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