喪中

原民喜

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A  私は何処に睡つてゐるのか不明瞭になつた。朝の光線や物音が漂つてゐて、もう起きなければならない時刻らしかつたが、私の枕頭に妻がゐて黙つて坐つてゐるものだから、もつと放心してゐてもよささうだつた。とにかくひどく神経が疲れてゐるし、魂はまだ号泣を続けてゐた。しかし、何も変つたことなぞない証拠に、妻は影のやうに私の枕頭にゐてくれる。……ところが今階段を誰かが昇つて来る音が、たしかに私の耳に入り、あの跫音は妻が私を起しに来たのだな、と私はぼんやり考へてゐる。すると跫音はもうすぐ部屋の入口に近づき、戸が開けられた。と、同時であつた。私の側に居た影は立上つて、大急ぎで戸口のところの妻へ近寄り、両方が歩み寄ると見るより、忽ち一つの人物に溶け合つてしまつた。そして、私は勿論、妻によつて揺り起されたのである。 B  睡れない闇の中で煙草を吸つた。顔の上にやつて寝たまゝ吸つてゐたが煙草の小さな火の美しさに私は段々見惚れた。はじめ赤い小さな炎のなかに現れて来たのは、何処かの邸と庭であつた。庭には歯朶や芭蕉が繁つて居り、邸の硝子窓に灯がともされてある。その景色はあまりに精密で灼熱であつた。煙草の火が次第に下に燃え移つて行くに随つて、私は今度は顔が浮ぶやうに思へた。ほんとにその次に現れたのは誰ともわからぬ一人の顔であつた。灰の中にあつて、燦然と輝く、生命のまなざしであつた。

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