牙のある肖像

逸見猶吉

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Ⅰ 嘗ての日、彼等こそ何事を経て来たであらうか強烈の飲料をその傷口に燃やし、行方なく逆毛の野牛を放つては、薪のやうに苛薄の妄想をたち割つた彼等。こころに苦い移住を告げて、内側から凍りつく鰊のたぐひを啖ひ、日毎無頼の街衢から出はづれては歌もなく、鉄のやうな杳かの湾流がもたらす風の、勒々とした酔ひのひと時を怖れた彼等。到るところしどろな悪草の茎を噛み、あらくれの蔦葛を満身に浴びて耕地から裡の台地へと。また深夜のど強い落暉にうたれて、犁のたぐひを棄て去つた彼等。≪雲と羅針とを嘲りわらふ、その朦昧の顔の冷たさ。≫ひとたび扉口は手荒く閉ざされ、傾く展望はために天末線を重沛のやうに沈澱したのだ。佯りの花と糧秣はぶち撒かれ、床板に虚しく歯車の痕が錆びてゐる。いま襤褸をづらし、十指を組み、ヂザニイの干乾らびた穂束に琥珀を添へて、純潔の死と親愛とを祈る彼等だ。野生の卓に水が流れる。 水が流れる。 一途に貪婪なる収穫の果がこれであらうか。 いよいよ下降する石畳から、壊はされた黒い楔の扉口からだ。ざんざんと頽れこむ躁擾からそれら卑少の歴史から、虜はれの血肉をみづから引き剥して、己は三歳の嬰児だ。絶えまない不吉の稲妻と、襞もない亜麻の敷布が繋がれて、この無様な揺籃の底に目覚めてゐるとは誰が知らう。 ああ、最後の人の手から手へ、斑らなる隈どりで残された記憶。あれは秋であつたらうか。≪諸々の狭隘な傲りを押し破つた水。季節を逸れた水の氾濫! それこそ兇なる星辰の頽れだ≫四肢を張り、頑強に口を閉ぢ、むざんに釘うたれたまま、ぎるんぎるんと渦巻く気圏に反りながら、冷酷な秋の封鎖のまつただ中を抛れた、その記憶がま新らしい。己はどんなざまに声をあげたらうか。凹凸に截られた、石畳の隅で、彼等街衢から出はづれ台地を降る者の、塩を銜んだ頤が獣のやうに緊るのを知つた時。その不可解の一瞥に、蒼ざめた北方路線がまざまざと牽かれるのを、己は視たのだ。隙もれた裏屋根の、冴えた肋に入り交ふものは、しらじらと西風に光る利鎌、はやくも鉤なりに、彼等の額に※る何ものの翳であらう。ひと時の寂寞。 蘆のよぶ声がする。その向ふを久しく忘られたまま、湾流に沿ふ屍の形。頸のぐるりを霙の兆せ。錘のやうに寂寞が見えてくるのだ。今こそ潤ひなき火に、密度の凄まじい地角の涯に、彼等ひとしく参加する時を待つてゐるのか。見知らぬ移住地に獣皮を焚き、轍を深める。己は餓ゑ、さらに彼等は餓えるだらう。 Ⅱ すべては荒蕪の流域につらなる裏屋根の、出窓の格子に仮泊する、夥しい鴉の群だ。海藻を絡んだ羽を搏つて、失はれた耕地の跡に、ばさばさと自らの影を追ひたてる鴉の群だ。その腥い印象から なんとも知れぬ獣血のたぐひに濺がれて、しぜんに斃れてゆくものは、展望をしだいに埋めてゆく。唯ひとり、揺籃の底に艱むでゐる己の額に、やがては稲妻も十字を投げるだらうか。いま一筋荒々しく乗りこんでくる歌声をきかう。愛憐もなく火に酔へる、三歳のつぶらな眼底に滲みては、たちまち水浸しの肺腑を侵してくるその歌声。ああ 己の身うちにがんがんする無辺から襲つてくる非情の歌声。 枝を折り すぎゆくものは羽搏けよ 暴戻の水をかすめて羽搏けよ 石をもつて喚び醒ます 異象の秋に薄るもの 獣を屠つて ただ一撃の非情を生きよ …………………………… きみの掌に すぎゆくものは 沸々たる血を※きたまへ ふりかかる兇なる光暉の羽搏きに 野生の花を飾るもの 血肉を挙げ あくまできみの非情を燃えよ …………………………… 歌声は嗄れた。激しい裂目をみせてもう雲母の冬。水退けの昏い耕地をずり落ちて天末線の風も凄く、とほく矮樹林は刺青のやうに擾れてゐる。ここにあるものは己の三歳とその他。純潔の約定と飢餓とその他。ばらばらに黒い楔の外されたこの残留の街衢の中で、彼等の笑ふやうに、その笑ひが己の面上にあると思ふのか。強力な抵抗に撓められた鉄格子、また荒廃した扉口に吊られ、牙のある肖像こそおよそ愚劣の意匠をこらして、寒々しい光栄に曝されてゐる。これら牙のある肖像こそ彼等と己をめぐる、妄想の限りない露呈ではないのか。みよ、欣然と卓をたたいて空しい収穫のおもひに縊られるもの。丹赭を塗つた鬱屈の姦淫者。嗤ふべき取引。小学生らは石を投げて屋根の下に陥りてみ、青くざらざらした灰が四辺をたち罩める時、やうやく亜麻の敷布を拡げてゆく戦慄。 大利鎌の刃先に漂ふ薄暮の白い眼差し。蘆のよぶ声のむかふを、湾流に沿ふて屍のまつたく忘られた形。下降する石畳にサイレンが鳴らされ、断続の後それも杜絶えた彼等の苦い表情から、残忍な行為ばかりを読んだうへに、苛立つ矮樹林から、その声高な笑ひの中に、己ばかりは不逞な精神の射殺をきくのだ。誰も彼も居なくなる。やがて霙がくるだらう。この無様な揺籃の底に、天才を死に果てたとは誰が気付かう。横なぐりに出発の時が来たのか。己は再び引き剥す血肉に飢餓を鎧つて、ひとときの眠りを墜ちてゆく身だ。

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