雪と星
本文の表示
墓場にはまだ雪がある。 -ヘルマン·ヘツセ
部屋の中では病氣の妻が眠つてゐる。
少し口を開けて眠つてゐるその橫顏と
額をふちどる柔かい髪の毛の波のうねりと
それを照らす灯の黄色さとを靜かに心にとめて夜中の家のそとに出ると
朝から降りつゞいてゐた雪がいつのまにかやんで
空は晴れ渡り
星は悲しく〓らかに闇の深淵の上に金の光の庭を形づくり
風は旅人のやうに、 雪と星とを吹いてゐる。
おゝ、 大きな影に包まれて
深く深く眠る雪の果てのない夢想の靜けさ。
私は立ち、 私は見上げる。
私の胸に込み上げて來る河のやうなほの暗いものはなんだ。
私は星と雪との匂ひを旅人の風の腕から吸ふ。
私は眠つてゐる樹と動物と家々とを見る。
遠いところで眠りたくて眠れないでゐる人、 淚で冷え乾いた目で天井を見つめてゐる人、
死んで行く人、 生れて來る赤ん坊、 よろこびの目を見開いてゐる人のことを思ふ。
廣大な眠りと、 地を包むその平等さとのことを考へる。
又、 彼等すべてを搬んで行く大きな箱船のやうな「時」のことを考へる。
私は泣きたい。莫然として重い悲しみのためにひとり雪の上に立つたまゝで泣き出したい。
私は夜の雲がときどき紫を帶びた灰色の行列で星の光を蔽ふのを見る。 しかし雲が行き過
ぎると
星の光がまた見え出すのを見る。 -星は歌ひつゞけてゐる。
春のかすかなひゞきが私に觸れた。
それは雪の影の際界から吹いて來るのか。
星々の間から落ちて來るのか。
大きな夜よ。 君の沈默は僕には少し大き過ぎる。
君はまるで人間を輕蔑してゐるやうに大きい。
僕は何だか泣きたいやうだか
泣かずにぢつとしてもう少し君の大きさと押しくらをして見る。
さうして星の匂ひと雪の匂ひとを風から吸つて
自分といふものを
夜よ、 無邊際の戀人である君の、 大きな冷い胸の中へ融かし込んでやらう。
その冷さが、 もつと僕に暖く感じられてくるまで
それがだん〓〓暑くなつて
僕の心が笑ひ出して來るまで
この二月の眞夜中の星と雪との中で。
ログインすると、お気に入り登録や選集への追加ができます。
ログインすると、この作品に自分だけに見えるメモを残せます。
雪と星の談話
疑問や連想、ちょっとした読み方などを気軽に話せます。
まだ投稿はありません。
雪と星に寄せられた作品
詩から生まれた翻案・イラストや、朗読・解説などの関連リンクを持ち寄れます。
まだ投稿はありません。
批評・感想 0
作品から読み取ったことや、自分の中に生まれた感覚をまとまった文章で残す場所です。
まだ解釈・感想はありません。
ログインすると解釈・感想を書けます。