斷章

北原白秋

タグを編集・提案

作品の主題・モチーフなど、対象に固有の情報を登録してください。年代・形式・表記・文学運動などの共通分類は登録できません。会員タグの追加と、正式タグの削除は、5人の支持で自動反映されます。

ログインするとタグの追加・削除を提案できます。

一 今日もかなしと思ひしか、ひとりゆふべを、 銀の小笛の音もほそく、ひとり幽かに、 すすり泣き、吹き澄ましたるわがこころ、 薄き光に。 二 ああかなし、 あはれかなし、 君は過ぎます、 薫いみじきメロデアのにほひのなかに、 薄れゆくクラリネツトの音のごとく、 君は過ぎます。 三 ああかなし、 あえかにもうらわかきああわが君は、 ひともとの芥子の花そが指に、香のくれなゐを いと薄きうれひもてゆきずりに觸れて過ぎゆく。 四 あはれ、わが君おもふヸオロンの靜かなるしらべのなかに、 いつもいつも力なくまぎれ入り、鳴きささやぐ驢馬のにほひよ、 あはれ、かの野邊に寢ねて、名も知らぬ花のおもてに、 あはれ、あはれ、酸ゆき日のなげかひをわれひとり嗅ぎそめてより。 五 暮れてゆく雨の日の何となきものせはしさに 落したる、さは紅き實の林檎、ああその林檎、 見も取らず、冷かに行き過ぎし人のうしろに、 灰色の路長きぬかるみに、あはれ濡れつつ ただひとつまろびたる、燃えのこる夢のごとくに。 六 あはれ友よ、わかき日の友よ、 今日もまた街にいでて少女らに面染むとも、 な嘲みそ、われはなほわれはなほ心をさなく、 やはらかき山羊の乳の香のいまも身に失せもあへねば。 七 見るともなく涙ながれぬ。 かの小鳥 在ればまた來て、 茨のなかの紅き實を啄み去るを。 あはれまた、 啄み去るを。 八 女子よ、 汝はかなし、 のたまはぬ汝はかなし、 ただ、ひとつ、 一言のわれをおもふと。 九 あはれ、日の かりそめのものなやみなどてさはわれの悲しく、 窻照らす夕日の光さしもまた涙ぐましき、 あはれ、世にわれひとり殘されて死ぬとならねど、 わが側遠く去るとも人のまた告げしならねど、 さなり、ただ、かりそめのなやみなるにも。 十 あはれ、あはれ、色薄きかなしみの葉かげに、 ほのかにも見いでつる、われひとり見いでつる、 青き果のうれひよ。 あはれ、あはれ、青き果のうれひよ。 ひそかにも、ひそかにも、われひとり見いでつる あはれその青き果のうれひよ。 十一 酒を注ぐきみのひとみの ほのかにも濡れて愁ふる。 さな病みそ街のどよみの小夜ふけて遠く沁むとも。 十二 女、汝はなにか欲りする。 ゆふぐれの、ゆふぐれのゆめふかきもののにほひに、 かくもまた汝とともに接吻けて接吻けて、接吻けてほのかにも泣きつつあらば、あはれ、またなにの願か身にあらむ、ああさるをなほ女、汝はなにか欲りする、 ゆふぐれの、ゆふぐれのふたつなき夢のさかひに。 十三 なやましき晩夏の日に、 夕日浴び立てる少女の 餘念なき手にも揉まれて、 やはらかににじみいでたる 色あかき爪くれなゐの花。 十四 わが友よ。 君もまた色青きペパミントの酒に、 かなしみの酒に、 いひしらぬ慰藉のしらべを、 今日の日のわがごとも、 あはれ、友よ、思ひ知り泣きしことのありや。 十五 あはれ君、われをそのごと 清しとな正しとなおもひたまひそ。 われはただ強ひて清かり。 失せもあへぬそのかみの日の怯れたる弱きこころに、 ああかなし、われはさは強ひて清かり。 十六 哀知る女子のために、 われらいま黄金なす向日葵のもとにうたふ。 哀知る女子のために。 十七 『口にな入れそ。』 色紅くかなしき苺葉かげより今日も呼びつる。 『口にな入れそ。』 十八 われはおもふ、かの夕ありし音色を。 いと甘き梔子の映えあかるにほひのなかに、 埋もれつつ愁ふともなくただひとりありけるほどよ、 あはれ、さは通りすがりのちやるめらの肩をかへつつ、 ひとうれひ――ひいひゆるへうと荷擔夫の吹きもゆきしを。 あはれまた、夕日のなかに消えがてに吹きも過ぎしを。 十九 嗚呼さみし、哀れさみし、 今日もまた都大路をさすらひくらし、 なにものか求めゆくとてさすらひくらし、 日をひと日ただあてもなうさすらひくらす。 嗚呼さみし、哀れさみし。 二十 大ぞらに入日のこり、 空いろにこころ顫ふ。 初戀の君おもふ われの未練ぞ、 あはれ、さは暮れはつるらむ。 二十一 いとけなき女の子に きかすとにはあらねど、 たはむれにきかしぬる わかき日の歌よ。 わが戀ふる君も知らねば。 二十二 わが友いづこにありや。 晩秋の入日の赤さ、さみしらにひとり眺めて、 掻いさぐるピアノの鍵の現なき高音のはしり、 かくてはや、獨身の獨身の今日も過ぎゆく。 二十三 彌古りて、大理石はいよよ眞白に、 彌古りてかなしみはいよよ新らし、 彌古りて彌清く、いよよかなしく。 二十四 泣かまほしさにわれひとり、 冷やき玻璃戸に手もあてつ、 窻の彼方はあかあかと沈む入日の野ぞ見ゆる。 泣かまほしさにわれひとり。 二十五 柔かきかかる日の光のなかに、 いまひとたび、あはれ、いまひとたび、 ほのかにも洩らしたまひね、 われを戀ふと。 二十六 蝉も鳴く、ひと日ひねもす、 『かなし、かなし、ああかなし、今日なほひとり。』 二十七 そを思へばほのかにゆかし。 かの古りし朱塗のうつは、 そがなかに薫りにし 馬尼拉煙草よ。 いつの日のゆめとわかねど。 二十八 あはれ、あはれ、すみれの花よ。 しをらしきすみれの花よ。 汝はかなし、 色あかき煉瓦の竈の かげに咲く汝はかなし。 はや朝明の露ふみて われこそ今し 妹の骨ひろひにと來しものを。 二十九 青梅に金の日光り、 地は濡れて鈴蟲鳴く。 日暮らしの日暮らしの雨の絶間に、 いつしらず鈴蟲鳴く。 三十 あはれ、さはうち鄙びたる いはけなき玉乘の子が危なげに足にあはせて、 かすかにも彈き鳴らすヸオロン彈きの少女。 三十一 いまもなほ ワグネルのしらべに 日をひと日浮身をや窶したまへる。 かなしきは女ぞかし。 離り來て野邊におもへば 露くさの花の色だにさはひとり求めわぶるなる。 三十二 わが友は色あかき酒を飮みにき、 われはサイダア、 あはれかかる淡つけき愁もて わかき日を泣かむとする、弱き子の心ぼそさよ。 三十三 あはれ、去年病みて失せにし かのわかき辯護士の庭を知れりや。 そは、街の角の貸家の 褪めはてし飾硝子の戸を覗け、草に雨ふり、 色紅き罌粟のひともと濡れ濡れて燃えてあるべし。 あはれまた、そのかみの夏のごとくに。 三十四 ああ、あはれ、 青にぶき救世軍の 汚ごれたる硝子戸のまへに 向日葵咲き、 濠端を半纒ひとりペンキ壺さげて過ぎゆく。 いづこにか物賣の笛、 ああ、ひと目――日の夕、 われはいま忙しなの電車より。 三十五 縁日の見世ものの、臭き瓦斯にも面うつし、 怪しげの幕のひまより活動寫眞の色は透かせど、 かくもまた廉白粉の、人込のなかもありけど、 さはいへど、さはいへど、わかき身のすべもなき、涙ながるる。 三十六 鄙びたる鋭き呼子そをきけば涙ながるる。 いそがしき活動寫眞煤びたる布に映すと、 かりそめの場末の小屋に瓦斯の火の消え落つるとき、 鄙びたる鋭き呼子そをきけば涙ながるる。 三十七 あはれ、あはれ、 色青き幻燈を見てありしとき、 なになればたづきなく、かのごとも涙ながれし、 いざやわれ倶樂部にゆき、友をたづね、 紅のトマト切り、ウヰスキイの酒や呼ばむ、 ほこりあるわかき日のために。 三十八 瓦斯の火のひそかにも聲たつるとき、 われ、君を悲しとおもひ、 靴ぬぐひの皮に 踵なる土蹈みなすなり、 別れ來て、土蹈みなすなり、 ほの黄なるしめり香の、かの苑の香を嗅げば、 いまさらに涙ながる………… 三十九 忘れたる、 忘れたるにはあらねども………… ゆかしとも、戀ひしともなきその人の なになればふともかなしく、 今日の日の薄暮のなにかさは青くかなしき、 忘れたる、 忘れたるにはあらねども………… 四十 つねのごと街をながめて ナイフ執り、フオク執り、女らに言葉かはせど、 色赤きキユラソオの酒さかづきにあるは滿たせど、 かなしみはいよいよ去らず、 かにかくにわかき身ゆゑに涙のみあふれていでつつ。 四十一 かかるかなしき手つきして、 かかる音にこそ彈きにしか、 かかるかなしきその日の少女。 四十二 あかき果は草に落ち、 露に濡れて、 日をひと日戰きぬ、かくてまた香だに立て得じ。 雨霽れて、日の射せば、甘く、かなしく、 物求食り、物求食り、寄りも來る音の レグホンの雄の鷄の、あはれそがけたたましさよ。 四十三 葬式の歸途にか、戲れに笛吹き鳴らし、 もの甘き靄の内さざめきてたどる樂師よ。 哀れ、汝ら、 薄ぐらき路次の長屋にひと時の後やあるらむ。 さはれなほ吹き鳴らし吹き鳴らし長閑に消えつつ、 うら若き服の鄙びのいろ赤く、なにか眺むる。 日はしばし夢の世界に目を放つ、黄金の光。………… 四十四 顏のいろ蒼ざめて ゆめ見るごとき眼眸、 今日もまたわかき男、 空をのみ空をのみ見やりて暮らす。 四十五 長き日の光に倦みて 熟れし木の果は やはらかき吐息もて地にぞ落ちたる。 またひとつ…………そよとだに風も吹かねど。 四十六 かなしかりにし昨日さへ、 かなしかりにし涙さへ、 明日は忘れむ、肥滿れる君よ。 四十七 廢れたる園のみどりに ふりそそぎ、ふりそそぎ、にほやかに小雨はうたふ。 罌粟よ、罌粟よ、 やはらかに燃えもいでね………… 四十八 なにゆゑに汝は泣く、 あたたかに夕日にほひ、 たんぽぽのやはき溜息野に蒸して甘くちらばふ。 さるを女、 なにゆゑに汝は泣く。 四十九 あはれ、人妻、 ふたつなきフランチエスカの物語 かたらふひまもみどり兒は聲を立てつつ、 かたはらを匍ひもてありく、 君はまた、たださりげなし。 あはれ、人妻。 五十 いかにせむ………… やはらかに 眼も燃えて、 ああ君は 唇をさしあてたまふ。 五十一 色赤き三日月。 色赤き三日月。 今日もまた臥床に 君が兒は銀笛のおもちやをぞ吹く、 やすらけきそのすさびよ。 五十二 柔らかなる日ざしに 張物する女、 いろいろの日ざしに もの思ふ女、 柔らかなる日ざしに 張物する女。 五十三 われは怖る、 その宵のたはむれには似もやらで、 なにごとも忘れたる 今朝の赤き唇。 五十四 いそがしき葬儀屋のとなり、 驛遞の局に似通ふ兩替のペンキの家に、 われ入りて出づる間もなく、 折よくも電車むかへて、そそかしく飛びは乘りつれ。 いづくにか行きてあるべき、 ただひとり、ただひとり、指すかたもなく。 五十五 明日こそは 面も紅めず、 うちいでて、 あまりりす眩ゆき園を、 明日こそは 手とり行かまし。 五十六 色あかきデカメロンの 書に肱つき、 なにごとをか思ひわづらひたまふ。 わかうどの友よ、 美くしきかかる日の夕暮に、さは疎くたれこめてのみ、 なにごとをか思ひわづらひたまふ。 五十七 あはれ、鐵雄、 靜かなる汝が顏の蒼さよ、 聲もなきは泣きやしつる、 たよりなき闇の夜を 光りて消ゆる花火に。 五十八 ほの青く色ある硝子、 透かし見すれば 内部なる耶蘇の龕にひとすぢの香たちのぼる。 街をゆき、透かし見すれば 日の眞晝ものの靜かにほのかにも香たちのぼる。 五十九 薄青き齒科醫の屋に 夕日さし、 ほのかにも硝子は光る。 あはれ、女、 その戸いでていづちにかゆく………… 黄なる陽に汝を見れば われもまたほの淡き齒痛をおぼゆ。 六十 あはれ、あはれ、 灰色の線路にそひ、 ひとすぢの線路にそひ、 今朝もまた辿りゆく淺葱服のわかき工夫、 汝もまた路のゆくてに 青き花をか求むる、 かなしき長きあゆみよ。 六十一 新詩社にありしそのかみ、 などてさは悲しかりし。 銀笛を吹くにも、 ひとり路をゆくにも、 歌つくるにも、 などてさは悲しかりし。 をさなかりしその日。

ログインすると、この作品に自分だけに見えるメモを残せます。

批評・感想 0

作品の表現や構成を検討し、根拠を示しながら評価・講評する場所です。

まだ批評・講評はありません。

斷章の談話

疑問や連想、ちょっとした読み方などを気軽に話せます。

まだ投稿はありません。

話題を投稿する

斷章に寄せられた作品

詩から生まれた翻案・イラストや、朗読・解説などの関連リンクを持ち寄れます。

まだ投稿はありません。

この詩に作品を寄せる