ある雜景
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歳の暮になると、南天や千兩や萬年青や梅もどきや、さういふ紅い念入りな實が、つやつやしく光り出してくる。店店の飾り窓に猫のやうに白いボアや、青や紅や黒や紫や竪縞や碁盤や格子型やさういふありとあらゆるシヨオルが、襟首にぺたぺたと靡いて、ほつそりした顎の先をつるつると撫でながら、そとを歩いてさへ居れば惱ましく視線にまつはりついてくる。鮭のやうに瘠せたのや河豚のやうなのや、鯛やほうぼうのやうに紅いのや、出目金魚のやうなのや、西洋人のやうなのや、それらが織物のやうに町町の旗やクリスマスツリイや飾り窓の間をつづつてゐて、みんな動いて、混線して、ごちやごちやになつて、肉顏と肉顏とが重なつて、もう一度重なつて、こんどは離れ、次から次へと限りなく艶めかしい。
馬車や人力や電車や自動車や、トンカツやシチユーや香水や肥料や埃や空ツ風や星や星ぞらやが、それらの艶めかしいものを背景にして、三重に四重に馳つたり匂つたりする。カツフエの近所に八百屋があるやうに、呉服屋に隣つてネクタイ屋があるやうに、紅いシヨオルを卷いたうしろに、黒いソフトをかむつた男がゐるやうに、トンカツの次へコオヒイが出るやうに、鬼灯のやうにふくれた西洋婦人のあとへペングイン鳥のやうな男が跟いてゐるやうに、ゐるやうに、ゐるやうに――
ほんとに歳の暮になるとボール紙や櫻紙や小包紙や新聞紙やしで紐や障子紙が、そこらぢゆうに匂つて、新しい下駄のやうな剃り立ての顏やタドンのやうな頭やハイカラや、つぎから次へと限りなく目まぐるしい。唯いつも變らないのはサンドヰツチマン位なもので、二歩あるいて三歩止どまり、三歩あるいてはちからない咳をして居た。肺のそこからひびいて居るやうな聲で、ごほんとやつては二歩三歩づつあるいて居た。そのあとさきに古びた電柱が立ち、瘠犬がちよろつき、低い家並を這ひあるく煙とも靄ともつかぬものが物悲しげに垂れてゐることはお定りのやうであつた。
かれは街路樹のやうに瘠せこけて、絶えずひよろついてゐた。その上、ひとびとの財布は反古籠のやうに亂れてゐたが、かれの垢じみた盲縞の巾着のそこには蜜柑の皮のやうな二十錢札一枚が、しかも破れ目を繼がれてあぶら染みてへばりついてゐた。しかも彼が折折口にするのは、これまた不思議な「戀は優し」といふオペラの唄の一章で、どこからどう聞きおぼえたか、髭もぢやな口もとから絶えず同じ唄をうたひながら、極く低い聲で、一歩あるいては二歩で止まりながら、同じい道路をあちこちするのであつた。
電車や自動車やペングイン鳥やトンカツや玩弄屋やカツフエ等は、相渝らずごつちやになつて町ぢゆうに入亂れてゐるのである。けれどもサンドヰツチマンだけはべつな車道と人道との間をこつこつあるいて、悲しや「戀はやさし」の唄を唄ふのである。而も誰もはつきり聞いたこともなければ本人さへも分らない唄である。ふいに通りがかりにそれを聞いた私は、さて、びつくりしながら師走の砂ほこりのなかにぼんやり立つて、おなじ爺さんのやうな口のうちで、あさましくそのうたを口ずさんで、誰かに叱られたやうにそそくさと歩き出したのであつた。
ふしぎなことは師走の日ざしの色が、冬の日のさびしい灰ばんだ寒さを含んでゐるに拘はらず、ときには濃く襟卷のそとから温まつてくることである。世に古りて襟卷をする人のこころもち、水仙と福壽草の鉢をあちこちの日かげを追うて持つてあるく龜のやうに寒さにちぢんだ老人、紅い手を露き出しにしてごしごしと洗濯する女の美しさ日のあたつた水のあたらしさ、ぢやぶぢやぶハネル面白さ。
郊外の道のわるいあたりに敷かれた藁蓆と垣根の調和、さういふところにある櫻の木、やや紫ぐんで、水氣立つて、すつきりと蒼ぞらに伸びた姿、山の手の電車が、さういふ垣根から透き、新建の家が光り、寒菊を圍うた庭もあり、突然にうつすりと燒芋の匂ひがただようてくる温かさ、さうかとおもへば、さういふ惡い小徑までどこから出てきたものか、時には美ごとに肥つた女が紅い手袋と青いシヨオルと、惱ましげな渦卷銘仙でからだを包んで、ふらふらと犬のやうに出てくることがあるものである。何も彼も紅いものづくめで、何も彼も、手も足も微笑つてゐるやうな女である。
足袋を干した影が移るにしたがつて、わたしの家では干鰈が乾反りかへつて、刷毛のやうな尾のさきを舞うてゐるどす黒い冬越しの蠅が、その頃は何處へか姿をかくしてしまつて、唯、篠竹にざわめく夕風が凍みついてくるだけである。と、夜夜の寒ざらしの月がばつさりと、砥がれて光を投げる。
わけても田舍の田端から出かけるには、まづ動坂くらゐなもので動坂は鮭と鰊と鱈の子の町つづきである。古蝙蝠のやうなマントの人や、肘のぬけた役所がへりの洋服、ここにもトンカツや經師屋や古道具や、例の青や紅の褪めかかつたシヨオルを卷いた人やが、ごちやごちや混み合ふ。溝川だけが末は藍染川になつて流れるのであるが、大根や葱の洗ひ屑もこの頃だいぶ尠なくなつてゐて、こぼこぼ鳴る上をれいの師走の月が優しく夜夜にうつつて居た。
けれども通行するひとびとの呼吸が白くやさしく、ただ一軒きりの雜誌屋のはでな新刊のそばで、ひらひら蝶のやうに止つてゐることが多い。瓦斯と電燈との逆光で白い呼吸を吐いてゐて、みるから師走らしい氣がするのであつた。
動坂は田端の入口である。いつも下向時のやうに賑やかで混んで門松の匂ひがして……そして例の鮭や鱈の子やハイカラが蒸しかへるのである。――
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