永井荷風

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柴折りたきて旅人に 宿の翁のかたりけり。 さむき夜には物皆飢ゑたり。 心して行け。わかき旅人よ。 暗き峠の夜道には おくり狼といふけものあり。 道行く人のうしろに従ひ その振返るを窺ひ飛つきて のど笛にくらひつくとかや。 されば旅人よ 踏み迷ふ山路に日のくれて 怪しき跫音きくとても ゆめ/\後をな見たまひそ。 おもむろに行手を望みて 唯ゆきたまへ。 しののめの空しらみかゝれば 暗き夜にはびこるもの おのづからひそみ隠れん。 消えかゝる焔ながめて わかき旅人答へけり。 翁の情、翁のをしへ われなどか忘るべき。 さすらひの道のはたにも 教聞くこそ嬉しけれ。 人の世の末にも願くは教あれかし。 われは果なき途を唯ゆくべし。 過ぎこし方を顧みて何かはせむ。 わが来りし途のかなたには 恐怖と悔恨と屈辱の横はりしのみ。 かしこにわれは羨怨の牙鳴す蛇 糾弾の爪とぐ犬を見たりき。 翁よ。心やすかれ。 われは来しかたをかへり見ず 唯ゆくべし。 はてなきあこがれの空を仰ぎ 哀愁の泉を掬み 忘却の林にいこひつゝ 唯行くべし。 さらば翁よ。 火は消えたり早や疾くいねよ。 われは行かんいざ行かん。

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