尾形亀之助

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 屋根につもつた五寸の雪が、陽あたりがわるく、三日もかゝつて音をたてゝ桶をつたつてとけた。庭の椿の枝にくゝりつけて置いた造花の椿が、雪で糊がへげて落ちてゐた。雪が降ると街中を飲み歩きたがる習癖を、今年は銭がちつともないといふ理由で、障子の穴などをつくろつて、火鉢の炭団をつゝいて坐つてゐたのだ。私がたつた一人で一日部屋の中にゐたのだから、誰も私に話かけてゐたのではない。それなのになんといふ迂濶なことだ。私は、何かといふとすぐ新聞などに馬車になんか乗つたりした幅の広い写真などの出る人を、ほんとうはこの私である筈なのがどうしたことかで取り違へられてしまつてゐるのでは、なかなか容易ならぬことだと気がついて、自分でそんなことがあり得ないとは言へきれなくなつて、どうすればよいのかと色々思案をしたり、そんなことが事実であれば自分といふものが何処にもゐないことになつてしまつたりするので、困惑しきつて何かしきりにひとりごとを言つてみたりしてゐたのだつた。  水鼻がたれ少し風邪きみだといふことはさして大事ないが、何か約束があつて生れて、是非といふことで三十一にもなつてゐるのなら、たとへそれが来年か明後年かのことに就いてゞあつても、机の上の時計位ひはわざわざネジを巻くまでもなく私が止れといふまでは動いてゐてもよいではないのか。人間の発明などといふものは全くかうした不備な、ほんとうはあまり人間とかゝはりのないものなのだらう。――だが、今日も何時ものやうに俺がゐてもゐなくとも何のかはりない、自分にも自分が不用な日であつた。私はつまらなくなつてゐた。気がつくと、私は尾形といふ印を両方の掌に押してゐた。ちり紙を舌めてこすると、そこは赤くなつた。

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