月光

上田敏

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とてもあの星には住まへないと思ふと、 まるで鳩尾でも、どやされたやうだ。 ああ月は美しいな、あのしんとした中空を 夏八月の良夜に乘つきつて。 帆柱なんぞはうつちやつて、ふらりふらりと 轉けてゆく、雲のまつ黒けの崖下を。 ああ往つてみたいな、無暗に往つてみたいな、 尊いあすこの水盤へ乘つてみたなら嘸よからう。 お月さまは盲だ、險難至極な燈臺だ。 哀れなる哉、イカルスが幾人も來ておつこちる。 自殺者の眼のやうに、死つてござるお月樣、 吾等疲勞者大會の議長の席につきたまへ。 冷たい頭腦で遠慮無く散々貶して貰ひませう、 とても癒らぬ官僚主義で、つるつる禿げた凡骨を。 これが最後の睡眠劑か、どれひとつその丸藥を どうか世間の石頭へも頒けて呑ませてやりたいものだ。 どりや袍を甲斐甲斐しくも、きりりと羽織つたお月さま、 愛の冷きつた世でござる、何卒箙の矢をとつて、 よつぴき引いて、ひようと放ち、この世に住まふ翅無の 人間どもの心中に情の種を植ゑたまへ。 大洪水に洗はれて、さつぱりとしたお月さま、 解熱の効あるその光、今夜ここへもさして來て、 寢臺に一杯漲れよ、さるほどに小生も この浮世から手を洗ふべく候。

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