物みなは歳日と共に亡び行く

萩原朔太郎

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わが故郷に歸れる日、ひそかに祕めて歌へるうた。 物みなは歳日と共に亡び行く。 ひとり來てさまよへば 流れも速き廣瀬川。 何にせかれて止むべき 憂ひのみ永く殘りて わが情熱の日も暮れ行けり。  久しぶりで故郷へ歸り、廣瀬川の河畔を逍遙しながら、私はさびしくこの詩を誦した。  物みなは歳日と共に亡び行く――郷土望景詩に歌つたすべての古蹟が、殆んど皆跡方もなく廢滅して、再度また若かつた日の記憶を、郷土に見ることができないので、心寂寞の情にさしぐんだのである。  全く何もかも變つてしまつた。昔ながらに變らぬものは、廣瀬川の白い流れと、利根川の速い川瀬と、昔、國定忠治が立て籠つた、赤城山とがあるばかりだ。 少年の日は物に感ぜしや われは波宜亭の二階によりて 悲しき情感の思ひに沈めり  と歌つた波宜亭も、既に今は跡方もなく、公園の一部になつてしまつた。その公園すらも、昔は赤城牧場の分地であつて、多くの牛が飼はれて居た。  ひとり友の群を離れて、クロバアの茂る校庭に寢轉びながら、青空を行く小鳥の影を眺めつつ 艶めく情熱に惱みたり  と歌つた中學校も、今では他に移轉して廢校となり、殘骸のやうな姿を曝して居る。私の中學に居た日は悲しかつた。落第。忠告。鐵拳制裁。絶えまなき教師の叱責。父母の嗟嘆。そして灼きつくやうな苦しい性慾。手淫。妄想。血塗られた惱みの日課! 嗚呼しかしその日の記憶も荒廢した。むしろ何物も亡びるが好い。 わが草木とならん日に たれかは知らむ敗亡の 歴史を墓に刻むべき。 われは飢ゑたりとこしへに 過失を人も許せかし。 過失を父も許せかし。 ――父の墓に詣でて――  父の墓前に立ちて、私の思ふことはこれよりなかつた。その父の墓も、多くの故郷の人人の遺骸と共に、町裏の狹苦しい寺の庭で、侘しく窮屈げに立ち竝んでる。私の生涯は過失であつた。だがその「過失の記憶」さへも、やがて此所にある萬象と共に、虚無の墓の中に消え去るだらう。父よ。わが不幸を許せかし! たちまち遠景を汽車の走りて 我れの心境は動騷せり。  と歌つた二子山の附近には、移轉した中學校が新しく建ち、昔の侘しい面影もなく、景象が全く一新した。かつては蒲公英の莖を噛みながら、ひとり物思ひに耽つて徘徊した野川の畔に、今も尚白い菫が咲くだらうか。そして古き日の娘たちが、今でも尚故郷の家に居るだらうか。 われこの新道の交路に立てど さびしき四方の地平をきはめず。 暗鬱なる日かな 天日家竝の軒に低くして 林の雜木まばらに伐られたり。  と歌つた小出の林は、その頃から既に伐採されて、楢や櫟の木が無慘に伐られ、白日の下に生生しい切株を見せて居たが、今では全く開拓されて、市外の遊園地に通ずる自動車の道路となつてる。昔は學校を嫌ひ、辨當を持つて家を出ながら、ひそかにこの林に來て、終日鳥の鳴聲を聞きながら、少年の愁ひを悲しんでゐた私であつた。今では自動車が荷物を載せて、私の過去の記憶の上を、勇ましくタンクのやうに驀進して行く。 兵士の行軍の後に捨てられ 破れたる軍靴のごとくに 汝は路傍に渇けるかな。 天日の下に口をあけ 汝の過去を哄笑せよ。 汝の歴史を捨て去れかし。 ――昔の小出新道にて――  利根川は昔ながら流れて居るが、雲雀の巣を拾つた河原の砂原は、原形もなく變つてしまつて、ただ一面の桑畑になつてしまつた。 此所に長き橋の架したるは かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるらん。  と歌つた大渡新橋も、また近年の水害で流失されてしまつた。ただ前橋監獄だけが、新たに刑務所と改名して、かつてあつた昔のやうに、長い煉瓦の塀をノスタルヂアに投影しながら、寒い上州の北風に震へて居た。だが 監獄裏の林に入れば 囀鳥高きにしば鳴けり  と歌つた裏の林は、概ね皆伐採されて、囀鳥の聲を聞く由もなく、昔作つた詩の情趣を、再度イメーヂすることが出來なくなつた。 物みなは歳日と共に亡び行く――。 ひとり來りてさまよへば 流れも速き廣瀬川 何にせかれて止むべき。 ――廣瀬河畔を逍遙しつつ――

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