女のいぢらしさ
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「女のいぢらしさは」とグウルモンが言つてる。「何時、何處で、どこから降つて來るかも知れないところの、見たことも聞いたこともない未來の良人を、貞淑に愼ましく待つてることだ。」と。
家の奧まつた部屋の中で、終日雀の鳴聲を聽きながら、優しく、惱ましく、恥かしげに、思ひをこめて針仕事をして居る娘を見る時、私はいつもこの抒情味の深い、そして多分に加特力教的な詩人の言葉を思ひ起す。
いぢらしくもまた、私の親しい友が作つた、日本語の美しい歌を一つ。
君がかはゆげなる机卓の上に
色も朱なる小箱には
なにを祕めたまへるものならむ。
われ君が窓べを過ぎむとするとき
小箱の色の目にうつり
心をどりて止まず。
そは やはらかきりぼんのたぐひか
もしくは、うら若き娘心を述べつづる
やさしかる歌のたぐひか。(室生犀星)
若い未婚の娘たちは、情緒の空想でのみ生活して居る。丁度彼女等は、昔の草双紙に物語られてる、仇敵討ちの武士みたいなものである。その若く悲しい武士たちは、何時、何處で、如何にして𢌞り逢ふかも解らない仇敵を探して、あてもなく國國を彷徨ひ歩き、偶然の奇蹟を祈りながら、生涯を疲勞の旅に死んでしまふ。
昔のしをらしい娘たちは、かうした悲しい物語を、我が身の上にひき比べ、行燈の暗い灯影で讀み耽つた。同じやうにまた、今日の新時代の娘たちが、活動寫眞や劇場の座席の隅で、ひそかに未來の良人を空想しながら、二十世紀の草双紙を讀み耽つて居る。その新しい草双紙で、ヴアレンチノや林長二郎のやうな美男が扮する、架空の人物を現實の夢にたづねて、いぢらしくも處女の胸をときめかして居る。そして目算もなく、計畫もなく、偶然の𢌞合のみを祈りながら、追剥の出る街道や、辻堂や笹原のある景色の中を、悲しく寂しげに漂泊して居る。昔の物語の作者たちは、さうした悲しい數數の旅行の後で、それでも、漸く最後に取つて置きの籤をひかせて、首尾よく願望を成就させた。だが若し、現實の人生がさうでなければ! そもそも如何に。女のいぢらしさは無限である。
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