憂鬱なる花見

萩原朔太郎

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憂鬱なる櫻が遠くからにほひはじめた 櫻の枝はいちめんにひろがつてゐる 日光はきらきらとしてはなはだまぶしい 私は密閉した家の内部に住み 日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる その卵や肉はくさりはじめた 遠く櫻のはなは酢え 櫻のはなの酢えた匂ひはうつたうしい いまひとびとは帽子をかぶつて外光の下を歩きにでる さうして日光が遠くにかがやいてゐる けれども私はこの暗い室内にひとりで坐つて 思ひをはるかなる櫻のはなの下によせ 野山にたはむれる青春の男女によせる ああいかに幸福なる人生がそこにあるか なんといふよろこびが輝やいてゐることか いちめんに枝をひろげた櫻の花の下で わかい娘たちは踊ををどる 娘たちの白くみがいた踊の手足 しなやかにおよげる衣裝 ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあつてゐることか 花見のうたごゑは横笛のやうにのどかで かぎりなき憂鬱のひびきをもつてきこえる。 いま私の心は涙をもてぬぐはれ 閉ぢこめたる窓のほとりに力なくすすりなく ああこのひとつのまづしき心はなにものの生命をもとめ なにものの影をみつめて泣いてゐるのか ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで 遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。

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