崖の上の麦畠
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真赤なお天道さんが上らつしやる。やつこらさと
鍬を下ろすと、ケンケンケンケン……
鶺鴒めが鳴きくさる、
崖の上の麦畠、
天気は快し、草つ原に露がいつぱいだで、
そこいら中ギラギラしてたまんねえ。
九右衛門さん、麦は上作だんべえ、
蚕豆もはぢきれさうだ。
ええら、いい凪だな、沖ぢやまだ眠つてゐるだが、
俺ちの崖の下は真蒼だ、
――そうれ、また、さらさら、ざぶん、ざぶん、んん……
尖んがり岩に波がぶつかる、
怖かねえほど静かぢやねえかよ、
まるで、はあ、鮑の殻見たいにチラチラするだね。
南風が吹きあげる。
やれ、やれ、今日も朝つぱらからむんむんするだぞ。
何でも構うこたねえ、
胸をづんと張りきつてな、うんとかう息を吸ひ込んで見るだ。
熟れ返つた麦の穂がキンラキラして、
うねつたり、凹んだり、
扁平たく押つかぶさると、
阿魔女でも、何でも、はあ、圧つ倒してやつたくなるだあ。
真赤なお天道さんが燃えあがる、
雲がむくむく燥き出す、
狂ひ出すと――吃驚しただが、
畔の仔牛が鳴き出す、
わあといふ声がする、
村中で穀物を扱き出す、
ぢつとして居らんねえ、
俺ちも豆でも挘るべえ。
赤ちやけた麦と蚕豆、
ぐんぐん押しわけてゆくてえと、
たまんねえだぞ……素つ裸で、
地面にしつかり足をつける、うんと踏んばろ、――
まん円いお天道さんが六角に尖つて
四方八方真黄色に光り出す。――
そこで、俺ちも小便をする。
赤ちやけた麦と蚕豆、
ほうれ見ろ、旦那さあが
手に一杯何だか拡げて
読んで行かつしやるだ、旦那さあ、
大けえ新聞だね、東京の新聞けえ、
紙がぷんぷん匂ふだ。
おやあ、蝉が鳴いてるだな、
どうしただか、これ、ふんとに奇異だぞ、
熟れ返つた麦ん中で真面目くさつて鳴いてるだ、
あつはつはつ……これ、ふんとに不思議だぞ、
何んでも、はあ、地面にかぢりついて
一生懸命に鳴いてるだ。
夏が来ただな、夏が来ただな、
海から山から夏が来ただな。
あつはつはつはつ……
あつはつはつはつ……
真赤なお天道さんが沈まつしやる……それだのにまだ、
紅雀が鳴きしきる。
輝く崖の上の麦畠、
くわつと燃え立つ杉の木、松の木、朱欒の木。
うねつた坂から、
刈穂を背負つた大きな火の玉男がをどつてゆく。
やつこらさ、やつこらさ。……
俺ちが畑は窪地の日かげ、
薄暗い三角畑のゆきまつり、
夜が明けても、日が暮れても、陰気な畑。
辣韮と蚕豆と、
ずり落ちた崖土に、無性矢鱈に匍ひ廻つたお薯の蔓、
地がじめ/\、風がじめ/\、
たまさか、真黄色に照り反す
大船の帆は見えても、
海も見えずよ、
憖ひ、波の音ばかりが
ぐわうと空つ腹を掻き廻す、
俺ちの畑は窪地の日かげ。
真赤なお天道さんが沈まつしやるだに、
いつまで、そん中で挘つてるだ。
重い暗い蚕豆、
影のふかい蚕豆、
蚕豆が汝か、さういふ俺ちが蚕豆か、
はや、訳がわかんねえ。
日が暮れるだあに、何時まで唖になつてるだ。
影のふかい蚕豆、
青臭い蚕豆、
蚕豆に触れば、
睾丸の下から、リリリリ……
鈴虫が鳴きしきる。
やれ、痛や、勿体なや、
思はず拝めば、溜んねえで、
涙がながるる、
ええ、畜生め、
なけなしの霊魂づらまでが
光るやうだぞい、蚕豆。
青臭い蚕豆、
鬱陶しい蚕豆。
日が暮れるだあに、
いつまで挘つても挘りきれぬ蚕豆、
蚕豆は三段歩、
俺ちの畑で、
俺ちが蒔いて、育てて、
肥やしたのによ、
何が鬱ぐことのあるべえ、
寂しいか、切ねえか、
訳はわかんねえだが、涙がながるる。
小便でもしてけつかれ。
真赤なお天道さんが沈まつしやる……三崎の丘から
海のどん底まで鐘がごうんと落つこちる。
くわつと燃え立つ杉の木、松の木、朱欒の木。
麦が煽つて照りかへすと、
火のやうな裸馬が、
や、や、や、や、手綱を振りもぎつて崖の上を飛んでゆく、
怪我はしねいか権作さん。
大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ。
暗い坂から坂の頂辺を見れば、
「台」の空火事じや、野は火事じや。
山の段々畑みな火事じや。
やつこらさつさ、やつこらさ。
白髪のお婆らがやつこらさ。
もう日が暮れるぞ、危ないぞ、
石ころ坂ののぼり坂、
木の葉はきらめく、麓は真つ闇、
時雨はさんざと、
崖土やこぼれる、やつこらさ。
栗鼠の眼が光るぞ、
暗い坂、のぼり坂、山葡萄どろの実が熟れた。
涙垂らすな、お勘婆、
やれ、汝も尻拭け、お時婆、
慾ばれ、気ばれ、白髪染塗れ、お熊婆。
やれ、上見りや限りやなし、下見りや限りやなし、
諦めさんせの、因果なもんだよ、
泣いても焦れても、死ちたらお陀仏、
やつこらさつさ、やつこらさ、
長命や為まいぞ地獄の夕焼。
天竺は火事じや、世は火事じや、
俺らが一生はなほ火事じや、
やれ、もひとつくだれ、下り坂、
やれ、もひとつあがれ、上り坂、
やつこらさつさ、やつこらさ。
くわつと出た、畑に出た、
粟穂が真赤に。麓の女郎屋にや灯がついた。
畑道やうねり道
こほろぎはこほろころ、
やつこらさつさ、やつこらさ、
やれ、蜻蛉が飛んだ、火が飛んだ。
電信柱に燃えついた。
お薯はころげる。畑ぢや逃げ出す、
追つかけて取つちめろ、お婆も好きだよ、お若いの。
ふはつはつは、いつひつひ。
天竺は火事じや、世は火事じや、
長命や、耻かい、地獄の夕焼、
やれ、もひとつくだれ、下り坂
やれ、もひとつあがれ、上り坂
やつこらさつさ、やつこらさ。
鍬打つ、鍬打つ、
裸で鍬打つ、
空は円天井、
地面は三角、
光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。
鍬打つ、鍬打つ、
並んで鍬打つ。
とべらの木は山形、
反射は三角、
光は銀いろ、薔薇いろ、灰いろ。
鍬打つ、鍬打つ。
離れて彼方此方、
黙つて鍬打つ、
向うにライ麦、こちらに人参。
光は利休茶、緑に、金色。
鍬打つ、鍬打つ、
うしろむきに鍬打つ、
一心に鍬打つ、
打たずにやゐられぬ、
とべらの木の周囲を廻つて鍬打つ。
光は薔薇いろ、空いろ、利休茶。
鍬打つ、鍬打つ、
近寄つて鍬打つ、
キラキラするのは巡査のサアベル、
畑の上では蒸汽が旗振る。
光は薔薇いろ、湾内や真青。
鍬打つ、鍬打つ、
振りかへつて鍬打つ、
とべらの木の下ではあかんぼがすやすや、
鶏がコケツコツコ。
光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。
鍬打つ、鍬打つ、
向きあつて鍬打つ、
拝んで鍬打つ、
打たずにやゐられぬ、心から鍬打つ。
光は薔薇いろ、向日葵、金色。
ぎあとあかんぼが啼き出した。
道路が朱のやうに蜒つてゆく。
南は高い粟畑、
重く垂れ下がつた穂波がしみじみ、
雉猫の尻尾を振る、
無数に寂しく、熱く。
道路は照りかへる。
一方は牛蒡、人参、里芋畑、
爽かな野菜がぷんぷん、
地から畝から真つ青だ。
こほろぎも鳴く。……
田舎だね、鍬をかついで、
四角な西洋館のかげから
大きな百姓の姿が躍つて来る、
顔から胸までうつぴろげて
輝く秋の空をふり仰ぐ。『今日は』
もう日が暮れるのだ、老年の異人さんが
白いヘルメツトに、気がるな紺背広の
太つ腹を突き出して、
向ふの松林を過ぎつてゆく、
犬が二匹火の玉見たいに飛んでゆく。
百舌が鳴く、くゐい、くゐい、くゐい、りりり……
まん円い真赤な太陽が、今、
蜒つて上つた段々畑の珊瑚樹に
くわつと燃えあがる、――
海には帆が光る、光る、光る。
朱のやうな道路が躍つてゆく、
丘から丘へ、谷から畑へ、
まるで、人間なら泥酔漢だ。
それでも、しんから輝く一本路、
野菜がぷんぷん、粟がそよそよ。
日が愈々暮れてゆくのだ、怪しい馬糞には、
絹灑の余光が反り、
露が早やしんみりと草つ葉をよぢのぼる。
而して崖の暗いかづらに
玉虫がぢつと、来て留つた、凄いほど美しい凝視。
崖は梢倦みそめぬ、蔦かづらの
厚く青き悲みは満ち傾きぬ。
光は十方無碍に歎きつつ、まづ、
最上層の大きなる葉にふりそそぐ。
葉は今驚く、光の重みに堪へかねつつ、
下なる円葉に照り傾く、その光
滾れもあへず、下葉の面をゆり動かせば、
その次の葉は更に強く、光り、且つ、揺れくつがへる、
葉よりは葉へ、かづらみながら
ただ燦爛と流るる如く、躍る如く。
その間も、銀の輪を画くもの
空に響く、何ともわかず、
麗らかに甘く、くるしく、湿気さへ帯びて、
その輪は次第に一点に縮まらんとす。
静けさや、かづらの葉、
光は溢れつくして、また元のままに落ちつけば、
数しれぬ鈴なりの葉もまた静まる。
時に輪は点となり、うつくしき虫となり、
光りつつ、熟視めつつ、
その中の青く青く最も厚く
光沢ふかき葉の中心にぢつと留まる。
微妙端厳の緑玉。
正午すこし前
虫はいま金となる。
不思議なる夕かな、その光は、
高く、熱く、遠近を染め、
そして幽かに、
今し、思ひがけなき坂の上に
虔ましき馬を立たす。
馬は光る珊瑚樹と
照りかへる村の間に見ゆ。
小さく赤く、
をりをりに耀くは息つけるにか。
馬は動く、いつくしく。
静かなり、ただ遥かなり。
なにものの響をか、その中に
馬は霊かたむけて聴入る如し、
金色に閃めくはその智慧か、
馬は赤く休らひぬ。
その時雲間より、
大きなる日輪半ば現はれ
遜だる馬の上に虹ふりそそぐ。
赤き赤き赤金光。
あなあはれ、馬は焔となる。
畏くもうつくしき夕かな、悲しき馬は
微妙端厳なるその馬は
見るまに不浄の五体より光を放ち
仏の如き眩ゆさにしばしわななく。
南無馬頭観世音、頓生菩提。
馬は赤く浮かびあがる。
何たる法悦。馬は燦爛と天へ昇る。
秋なり、豊かなる、掻きわけ難きかなしみは
草と金の毛莨と、
もろもろの悪の麝香にぞ醸さるる。
こは路傍なり、猫目石の奢りかがやく
夕暮の崖の下なり、
熱くちらばる花の中に、流石女の
稚けなけれどなまめかしく、而も無心に、
童は薔薇色薄きシヤツをかきあげつる、
尻も真白く、
病める、悲しき、取りみだしたるその溜息。
大きなる朱の太陽は空にかがやく。
凡ては歎き、小躍りし、光り、驚き、飛び去れり、
さて芳ばしく鳴り響く、子供ごころに。
その児はこの時、叢に顔さしあてつ、
ただ一心にさしのぞく、
美くしき譬へがたなき恍惚の奥の香りを。
挑むは季節、触るるは鋭き草の尖、
沈まむとする太陽光はますます赤く。
童が髪に燃えつきて仏の如く透徹らしめ、
またしばし、輝かす、ふくらかに臀部の円みの
滑りよく、白く、冷たき肉づきを、銀のうぶ毛を。
墓場は輝く、何かを感ず。
墓場は銀光燦爛たり。
秋なり、絶えず微風はきたる、
麗はしき息の如く。
墓場は銀光燦爛たり。
冷やかに、よろこばしく。
草は光り、跳ねあがる、
一心の弾機。
墓場は銀光燦爛たり、
驚きは拡がる。
そが中にただひとつ、飛び跳ぬるもの、
そは誰が愛せし白猫ぞや。
虔ましき一時、墓場は何かを感ず、
墓場は銀光燦爛たり。
鰌はいま赫耀燦爛たる光に住む。
鰌のをどるは苦しきなり。
耀く沼は彼らを一団の焔と縮む。
深く燃え立つ悲哀は彼らを擾す。
鰌はをどれり、葦はそよがず、
ただ朱の太陽円く閃めく。
鰌のをどるは苦しきなり、
耀く沼は彼らを一団の焔と縮む。
黒く、いみじき力重なる。
泥沼はこれ金銀瑠璃
悪の驕奢は言葉なくして
幻想界に身をうねらす。
鰌は一時に相つるむ、如何なる波も
狂へる彼らを離すことなし、
歓楽あまらば彼らはおのづと解けむ。
鰌のをどるは一心なり。
鰌の五感は鳴り響けり、
彼らは粗野なり、真に驚く、
鰌のをどるは苦しきなり、
彼いま燦爛かくやくたる光に飛ぶ。
遠樹は金の甲なり、
明るけれども影ふかく
高きにゐれども眼に低し、
ただ秋風ぞ彼を吹く。
遠樹にかゝる三日の月、
遠樹にのこる昼の雨、
遠樹の暮れてかゞやくは、
かうかうとしてかつ寂し。
遠樹のかげをゆく人は、
身も金色に光るらん、
遠樹の雨を眺むれば
幽けき煙、野にぞ沁む。
遠樹の上にちらばるは、
これ釣舟の銀の櫂、
消ゆかにしてはまたいくつ、
光りて鳥も飛びゆけり。
遠樹にかかる三日の月、
遠樹にのこる昼の雨、
遠樹の空にわだつみの、
波かぎりなくうちつゞく。
遠樹の赤さ、野の暗さ、
かうかうと吹く秋の風。
遠望の中かげゆれて、
祈るがごとし、いつくしく。
遠樹は遂に遠樹なり、
明るけれどもゆめふかく、
高きに動げどなほ重し、
遠樹の背にぞ虹かかる。
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