畑の祭
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大正二年九月某日、相州三崎は諸磯神明宮祭礼当日の事、上層に人形、下段にお囃子の一座を乗せた一台の山車は漁師と百姓とを兼ねた素朴な村人の手に曳かれてゆく。先づその山車は鎌倉街道から横にそれて、一小岬の突鼻の神明宮まで、黍畑や粟畑の高い丘道をうねつてゆく。而も日中、日は天心にかかつてゐる。径は緩い傾斜を登つたり下りたりしてゆく。崖の高みを行くのでその両方に真碧な海が見える。径が山車の幅より狭い位なので、松や蜜柑にぶつかつたり何かする。而して畑の上でも何でも溝はず曳いてゆく。ぶつつかる時は人形の背後に居る奴が高い処からぽきぽきと松の枝でも木槿でも手当り次第にへし折つたり、押し曲げたりする。馬鈴薯は馬鹿囃子に浮かれて大喜びだが、立樹は可哀想だ。山車が進んでゆくと、そこから神明宮と相対した油壺の入江が見え、向ふの丘の上に破れかかつた和蘭風の風車が見えてくる。その下に大学の臨海実験所の白い雅致のある洋館がある。芝生が見えキミガヨランが見え、短艇が二三艘浮いて見える。まるで南伊太利あたりの風景にでも接するやうである。愈丘の畑をすべり下りると平たい、かつと明るい渚に出る。右も左も渚である。ここに神明宮の鳥居がある。そこから円い穏かな丘の登り道になつて、その向ふが愈海になつてゐる。社前の渚には漁船が幾艘も引揚げてある。その間であかい西瓜店や何かが出る。ここで山車を休まして、一同は赤々と日が暮れるまで盛んに酔つぱらつて踊つたり唄つたりする。中には白痴もゐるし、剽軽者もゐる。万祝衣きた大禿頭もゐる。而してここの神主は平素は三崎遊廓の検黴のお医者である。凡てが如何にも馬鈴薯式なので村の祭とか田舎とか云つたりするより却て「畑の祭」とした方が適当かも知れない。この俗謡調はその山車のお囃子として作つて見たのである。
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