二人の癈人

千家元麿

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自分は見た。 自分はその二人を忘られ無い。 警察署の留置場の一室の隅に竝んだ二人の窃盜犯を、 二人は共犯者ではなかつた。 一人は三十か四十位、一人は五十か六十位の小柄な老人、 二人とも顏色の惡い事は夜の人の特長を示して居た。 若い方は狼のやうに痩せてゐた。 鋭い此世のものを馬鹿にし切つた、野生な瞳を有つてゐた。 周圍の人には頓着ない自分の心持一つで 生きてゐる事があり/\見えた。 誰でもこんな人にはめつたに町では逢へ無い。 夜を選んで孤獨で傷ついた野犬のやうに彼は姿を見せはしない。 彼の姿が見られるのはこんな檻の中でなくてはならないのだ。 彼は恐ろしい孤獨な人間だ。癈人だ。 彼にも妻や子があるだらう。 が彼位妻や子を愛したものがあるだらうか。 自分は彼が、留置場の向ふの刑事室のある邊りで(朝であつた) 七つか八つ位の女の子が笑ふ聲を聞いて、 彼の側にかしこまつた老人に、 「子供が來てゐるね」と云つたのを忘られ無い。 俺は「子供がこの人にはあるのか」と思つた。 今度行けばどうせ十二三年は食ふのだから罪は俺が引受ける。 誰か持つてゐるならマツチを出してくれと自分で然う云つて、 涙を呑み込んで身をふるはした此の前科者に。 老人は不攝生の爲めに眼の下の腫れ上つた白い眼をむき出して 「うん」と生返事をして、 寒さうに心配でまつ青になつて溜息をついた。 あゝ哀れな老人、孤獨で、し切りに指ばかり折り數へてゐた老人 (多分刑期がきまるのを待つ爲に。 おつかない法廷に呼び出されるのを待つ爲めに) 未だ牢に馴れないと見える、何か心を苦るしめると見える、 一心に考へ事をしてゐる老人、 夜も晝も默つて、外聞も見榮も忘れて、 露骨にあり餘る心配を人に見せて、 然うして朝、人々にくるりと脊を向けて、 二三寸離れた壁の方を向いて、きちやんとかしこまつて、 一心に何か禮拜した老人、 俺はそこに老人の一家のものを浮べた、 老人の小さな家の神棚を思ひ出した。 (毎朝さうして拜んでるだらう。) 自分は又そこにいかめしい法廷の光景を見た、 然うしてこの老人の爲めに重い罪が少しぽつちでも 宥される事を願つた。 この小柄の老人が何を欲してゐる? それは少しの同情だ。罪の輕くされる事だ、 それよりこの老人の重い重い心のつかへに なつてゐるものがあるものか、 それより屈托する慾望があるものか、 法官よ、彼に同情してやれ、 このずる相な頬骨の出た前科者の老人に、 自分に托け切つたこの小さな老人に、 ほんの輕い罰を與へて喜ばしてやつてくれ、 彼を踏みつぶす事位わけのない事は無いのだ。 おどかすな、おびやかすな、戰々としてゐるこの生ひ先き短い老人に 二三十分過ぎてから又子供の聲がした。 若い犯人は、 「おやまだゐるね」と又老人に話しかけた。 然うして同室の人々の顏を初めて見廻した。 俺は凡てがあり/\わかつたやうに思つた。 子供は誰かこゝに囚はれた人を迎へに來た。 その妻がつれて來たのだ。 俺はこの若い犯人の心の裏を云ふのは廢めよう。 餘りにわかり過ぎてゐる。 その前の晩だ。 往來で三十錢許り入つてゐた蟇口を拾つて、 つかひもしない内に捕つて、 四日間とらはれてゐた勞働者が放還された、 彼は妻が子供をつれて遠い町から朝早く 「貰らひ」に來た時の事を俺に話した。 放還される前の晩の隱し抑へた嬉しさから、 俺に話した。 子供にこんな所を見られたのが恥しいと云つてゐた。 そしてこゝを出たら妻や子をうんと喜ばしてやると、 腹の底から平和と團欒に餓ゑた若い勞働者は、 目の前に見える放免を喜んで、 驚く程の親切を本當の良心から俺に示してくれた。 然うして「十日や十五日は何でも無い、あの人は君十三年だよ」 と云つて笑つた。 あゝ俺は忘られ無い、 あの十三年行つた男が、 雨、風にさらされ、あらゆるものに虐げられ、 戰つて來た兩手の筋を力を罩めてさすり乍ら、 その蒼褪めた兩手を眺めつゝ誰に云ふとも無く、 「もうすつかり駄目になつてしまつた」と云つて、 自分の體をかこつたのを、 然うして牢に馴れた人のやうに體を運動させるのを。 自分は思つた。此人も子供の時があつたのだ。 白い手を見た時に恐らく彼も思つたらう。 あの人にも御母さんがあつたのだ。 さうして自分の子供のやうに、 矢張り御母さんを慕ひ御母さんも彼をどんなに可愛がり、 神樣以外のものには指もさゝせず育てられた事があるのだ。 この顏色の惡い夜の人、人々に嫌はれ、忌まれる癈れた人が、 然うだ。十三年も行けば、(十三年と云へば長い月日だ) 牢で病死をしないとも限ら無いこの哀れな罪人が、 あゝ神よ、彼を哀れみ給へ。彼を救ひ給へ。 凡ての哀れ極る罪人を救ひ給へ。 自分は彼を見た。どこに責む可きところがある。 その子供のやうな好奇心の強い、眼を輝して、 膝頭で立つて腰を浮かせて牢の外で何か起ると、 盜みに入る時のやうに眼を据ゑ切つて、覗き窺ひ、 耳をすませるこの野生の狼、 自分は忘られ無い、 かの年寄りと若い犯人が、 同じ一つの法則によつて動いてゐたのを、 夜寢る刻限が來ると、 二人は今日か昨日入つた許りの同室の者達に構はずに、 さつさと投げこまれた寢床をのべて 二人竝んでぐつすりいそいで眠つたのを さうだ、 一日でも早く消えてゆく事はどんな喜びだらう 一日も終つた、もう考へる事は無い 明日は何か變化があるだらう 自分には見えるやうだ。 あの小柄の老人が 若い犯人の側に目だたない位つゝましく默つてくつついて 捨てられるのでも恐れるやうに 申し合はしたやうに、 寢床へいそいで飛び込む姿が さうしてあの若い犯人はこゝではたしかに老人の保護者だ。 彼は老人より罪が重いから。 老人は彼を自分の子供のやうに慕ふのだ。 身も心も彼の側を離れられ無いのだ。 一人となるのはこゝでは恐いのだ。 あゝ何と云ふ美だ。 癈れた者にこの美があるのだ。 觸はつたらたまら無い美がもうもろく露骨になつてゐるのだ。 自分はもう書けない。 書かなくてもいゝ、 (十一月二日)

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