兄と妹
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兄
冬の日背をあたたむる
南の窓のたたずまひ、
胸和ぐる心地すに、
暫しきたまへ妹よ。
廚女なくて君ひとり、
灯の細るまで針づとめ、
今朝人もこそおとなはね、
心なぐさに歌はまし。
妹
やさしき君が語かな、
朝食の皿は注ぎたり、
春着の袖はなほ裁たず、
しばしはともにかたらまし。
ふた親ともに逝きまして、
ひろきこの世に淋しくも、
君が情の言の葉に、
憂慰むるわが身なり。
兄
世にたのしきは、妹の
針とる傍によりそひて、
春の日ながをひもすがら
讀むいにしへの歌の卷。
わがよむ文のつくるころ、
きみはた衣をぬひをへて、
手に手をとりて花かげに、
鹿の子のごとくをどるとき。
妹
世にをかしきは、吾兄の
廚のかたに音すると、
手にとる書を讀みさして、
ものおそれする夜なかどき。
煽つ灯をとりもちて、
さむき廚のしのびあし、
うつばり走る鼠子の
小さ姿をみいる時。
兄
春の夜ふかく月影に、
庭の樹間をさまよひて、
よき物の音のきかましき
宵よといへば、妹は―
やをら緒琴をとりおろし、
奏でいでつる一曲の
あまりに調のかなしきに、
睫毛うるみし夜もありき。
妹
琴ひきさして見かへれば、
火影にそむき歎くにぞ、
おぼろにしづむ春の夜に、
何かこつやとこと問へば、
さばかり音のかなしきは、
汝がせつなかる魂の
あらはれとしも思ふにぞ、
いぢらしとこそ歎きしか。
兄
夏朝早く水くむと、
甕を抱きて走りしが、
またかへり來て、躓きぬ、
甕はわれぬと歎くにぞ、
碎くるもよし、陶ものの
甕には惜しき涙ぞと、
いへば、つぶらに眼をひらき、
かた笑みせしは誰が子ぞや。
妹
秋の日、小狗かくれきて、
手馴の兎捕られぬと、
歌をもよまで窓に凭り、
面杖つきて沈めるを、
朝菜つむとて圃にゆき、
芋の葉かげにそれを見て、
抱きかへれば、よろこびて
額づきし日は何日なりし。
兄
五月の雨の夕闇を、
奧の一間にものの怪の
樣こそすれとふためきて
われかのさまに物狂。
灯かざしてうかがへば、
人しれずこそ物かげに、
黒毛の猫のつくばひて、
闇をみつめしをかしさよ。
妹
朝逍遙の其の一日、
葡萄の棚の下かげに、
戀歌よまめとすずろぎて、
呆けしさまにたてる時。
ふとしもものに躓きて、
眉根ひそめてむづかるに、
をりこそあれと葉がくれの、
實の一ふさを捧げしよ。
兄
昨日姫桃ちりこぼれ、
風香ぐはしき春の日を、
丸髷姿あえかにて、
君窓による夢をみぬ。
七春經たる樟樹の
若葉そろひて立つ如く、
君鬢づらの撓むまで、
髮ふさやかにたけけりな。
妹
いはば巫覡嚴らしく
皺める人に説くに似て、
夢といふなるいつはりを、
鼻うそやぎに見て知りぬ。
昨日むすびし若髮の
解けがちにする風見ても、
兄よ再び人妻の
心化粧はいはずあれ。
兄
世に名も高く響きつる
秀才の人にめあはせて、
げにふさはしき花妻と、
歌ひはやさん日は何日か。
汝がうつくしき顏ばせと、
汝がすぐれつる心とは、
をとこもぞ知る、人の世の
をみなの中の玉ならめ。
妹
み山の百合とみづからの
童貞をまもる心には、
戀もやがてはいたましき
むごたらしさの力のみ。
男ごころは狼の
餌にうち勝たむねがひのみ
兄よ、二人はいつまでも
生れの家にのこらまし。
兄
男女のもてあそぶ
戀といふなるたはむれも、
まことは世にもいたましき
性と性とのあらそひのみ。
わが妹だにうべなはば、
われら二人は天つ女の
娶らず嫁かぬ清らさに、
清らさにのみ生きなまし。
妹
うれしや、君はうべなひぬ、
娶らず嫁かぬ天をとめ、
天つ童男のきよらさに、
きよらさにのみ生きむとて。
うれしや、君はうべなひぬ、
今こそわれは常をとめ、
そのたぐひなき喜びを
今こそうたへ高らかに。
(妹歌ふ)
歌ふも、きくも、
ひとりゆゑ、
仇になしそね、
君とわれ。
古酒甕の
われ目より、
したたる露は、
わが身かや。
甘しと嘗めて
稱ふれど、
誰、盃の
ものとせず。
爰に自然と、
はらからの
深き慰藉の
なかりせば。
むしろ背きて
海にゆき、
思を波に
消さましを。
春の日小野の
逍遙に、
ふるき小笛を
拾ひきて、
息吹きこめて
なぐさむに、
ふと吾胸の
ゆるぎつる。
世の市人の
きかんには、
あまりに昔の
やさしきに。
若葉の蔭に
尋ね來て、
君としふたり
吹きてみる。
吾笛ふけば、
君立ちて
舞ひこそあそべ、
草のへに。
目は大海の
珠に似て、
光りすずしく、
輝けり。
足は菫の
花ふみて、
鹿の子の如く
舞ひのぼる。
艶なるかなや、
君は誰、
笛なげうちて
物狂。
今こそ得つれ、
もとめても
世に見ぬ幸を、
君が手に。
ああ、はらからよ、
縁あれば、
かくは手をとり
相したへ。
ああ、はらからよ、
來む世にも、
おなじ縁の
君をこそ。
笛とりあげて
吹きいでぬ、
聲は天にや
ひびくべき。
見よ美くしき
眉のねに、
歡喜の色
あらはれぬ。
君喜べり、
何かまた、
世のわづらひを
思ふべき。
愚ならめや、
われはよく
兄なぐさむる
すべをしる。
愚ならめや、
われはよく
妹なぐさむる
すべをしる。
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