巖頭沈吟

薄田泣菫

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一 なげきの卷 空藍色に晴れ渡り、 波ゆきかへりのたくる日、 よるは巖かげ、潮の香の たよたよとこそ烟らへれ。 水平線に尾を垂れて、 雲薄色に曳くほとり、 心おのづとあくがれて、 市のどよみは遠ざかる。 倦んずる童女母により、 野の戲れをしのぶ如、 海をしみれば故しらず 去りけむ人ぞおもはるる。 人よ、餘りにつらかりし、 慕へるわれを後にして、 白帆のかげに身をひそめ、 波のかなたに往きしかな。 干潟に落つる貝の葉に 盛るべき程の情あらば、 低き波止場の舟よそひ、 手招きしなば足りなんを。 往きにし方は何方ぞと、 巖にのぼりて眺めしも、 波路のはては灰色に、 涙ながれて見えわかず。 せめて慰む術もやと、 歌に心をかへししも、 背きし罪か、詩の神の 助けありとも思はれね。 笛の手何か、きよき音は うら安にこそ興を見れ、 人を怨みてなげく身は、 唯泣かしむる節ばかり。 日向の國よ、草ふかく 露しげき野と聞きにしが、 君はいづくをさまよへる、 和手懸くべき肩ありや。 ああ聖きかな、天の上、 戀知る女神詩をも知る。 女ごころを委ねんに、 歌人ならで誰かある。 歸れ戀人、くちびるは 胸の焔に渇きたり、 君かへりこむ其日まで、 また花びらに觸れもせじ。 鳴くを引汐おちゆきて、 再び島にかへる時、 浦に水鳥みえずとも、 悔いずや、君は永久に。 身は眞實男、うらわかき 莟の花の血を染めて、 人の世に入る門の戸に、 怨恨のあとをしるさざれ。 胸のいたみに堪へやらず、 足音低く歩みきて、 獨りひめつる君が名を 干潟に深く書きて見る。 ああこの文字の永劫に 消えじとあらばわが戀の 足らましを、若し夕潮の 頭もたげて寄せもせば。 歸れ戀人、くちびるは 胸のほのほに渇きたり、 君かへり來むその日まで、 また花びらに觸れもせじ。 夢かや、小野の木のかげに、 人しれずこそかき抱き、 戀のうまさに醉ひつれと、 そと囁きて笑みし日は。 戀する人に雄ごころと、 もの忘れとを與へずや。 いまの歎きに過ぎし日の 快樂おもふに忍びじよ。 おもへば悲し、君が手に 詩の清興を捨てしより、 名譽まれなる桂の葉、 つひに頭にまとひ得ず。 いままた君を失ひて、 戀の盃覆へる。 かくてわが世はものうかる 日日のねむりの續きのみ。 手負の鷲の巣にかへり、 翼を噛みて鳴く如く、 巖にすがりて伏ししづむ 人のありとは知るや、知らずや。 二 のろひの卷 見よ、龍宮の反り橋か、 虹こそかかれ花やかに。 人まどふ世に何の榮ぞ、 二つに裂けて海に落ちよ。 ものみな絶えよ、空に星、 下に野の花、なかに戀、 三つの飾りと聞きつるを、 人の花まづ碎けたり。 殘るは惡と、憎しみと、 せせら笑ひと、僞りと、 涙と、石と、籾がらと、 をみなの好む小猫のみ。 潮の香櫂にけぶらせて、 舟漕ぎかへる鰹魚釣、 海幸いかに多くとも、 人待つ岸に繋がざれ。 をみなの白き柔肌の 底の淺きにくらべては、 花藻のうかぶ淵の上、 浪はありとも住みやすき。 われは隱れ家こぼたれて、 頼るよしなきひとり兒ぞ。 昔の夢の追懷の いたらぬ方は、――死ならし。 ああ悲みの人の子に、 死は故郷の思あり。 ああ望なき人の子に、 死は垂乳女の姿あり。 胸もあらはに衣裂きて、 濃青の淵にのぞむとき、 母の腕による如き 安きおもひのなからずや。 ああうつくしき女子に、 永久にとけせぬ呪詛あれ。 男のひとりここにして、 若き生命をうしなひぬ。 ああうつくしく女子に、 永久にとけせぬ呪詛あれ、 男のひとりここにして、 清き心を葬りぬ。 かつては白き指觸れて、 愛の巣とこそ戲れし 身をさながらや、石の如 濃青の淵に投げなまし。 かつては腕やはらかに、 わが寶ぞと抱きける 身をさながらや、土の如 濃青の淵に沈めまし。 知んぬ、みめよき女子は、 いまはの人の恨みをも、 なほ縱琴の空鳴に、 空鳴にしも似つといふ。 見よ、王法の罪人が、 白き額をうつぶしに、 斷頭臺にしものぼる如、 立ちこそあがれ、巖の上に。 立ちこそあがれ、巖の上に、 涙は雨とあふれ來ぬ、 死を怖れめや、怖れずの 男ごころを愛しめばぞ。 男ごころよ、なが領に、 顏かがやきて胸冷えて、 御苑にたてる石彫の 女神に似つる子はなきや その圓肩に手をかけて、 ほほゑみをしも待たまくば、 寧ろや海の牡蠣が身の 巖根の夢を羨まむ。 黒潮よどむ海の底、 戀も、詩歌も、才も、名も、 根なき藻草の一枝に、 花を飾るに足らざらむ。 ああ海、――鰐のすむところ、 海豚の列のすむところ、 わかき命は一片の 蘆の葉をだに價ひせじ。 海士もし知らばいかならむ、 すなどりすべく來つる朝、 網に死屍を引き揚げて、 臂もわななく物怖れ。 幸と糧との家として、 日毎なじめるわだつみに、 身を沈めつる人ありと、 世の運命をし思ふにも。 さもあらばあれ、虹の環の 消ゆるが如く、死の邦に、 潮の底に、故郷に 吾は歸らめ、――さらば、さらば。

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