金剛山の歌

薄田泣菫

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1 夜は長かりき、「くらやみの 黒き幕はたぐられぬ、 時こそ來れ、めざめよ。」と、 嗄聲たかきどよもしに、 千歳の夢はやぶられて、 身は寢くたれの長姿、 大童なる額にして、 あかつき空にめざむれば、 あなや身側に吹きよせて、 息まき荒き羽ばたきに、 木立をふるひ、草を薙ぎ、 空門とどろに岩を搖る 天の荒し男志奈都彦、 「今こそ覺むれ、山脈の 八百の群より撰られたる 大山祇よ、とことはに 榮を。」とばかり呼びすてて、 さながら逸し背撓馬、 肌背たゆらに躍らせて、 南をさして飛び去りぬ。 2 薔薇色ごろも靡けたる 朝の童女はなやかに、 曙の戸をひきはづし、 天の榮をかたむけて、 注ぐや黄金、しろ金の 照の亂れをもろ肩に、 やをら國見の目蔭して、 遠方の空を眺むれば、 天そそり立つ大峰や、 また峰中の山ぞひに、 風は疾渡り駈けめぐり、 玉置山のかなたより さと身隱れて眞下りに 吹きおろすらむ熊野浦。 浪の音ゆるき朝なぎに、 眞帆眞廣げにひき張りて、 鳥羽路へわたる舟人は、 山いただきの空みだれ、 雲のちぎれを見やるにも、 「上帆をあげよ、山颪 吹きこそ來れ。」と高らかに 板子に立ちて騷ぐらむ。 3 東、鷹鞭、高見山、 北は葛城、生駒らの 右左なる山なみは、 いつを日待の名こそあれ、 夜中ごこちの事よげさ、 夢ふかげなるこの朝け、 誰ぞや麓にけはひして、 直走りする沓の音。 そや、み吉野の水ならぬ 誰が子目敏きふるまひぞ。 ああ高天の大み蔭、 笑聲どよむ天人の 美き歡喜のしたたりが、 夜な夜な峰に雨ふりて、 岩根けはしき谿間より、 落ちつどひてや、白金の 眞澄の色の吉野川、 汝も時世の先達の つとめを分つ友となれ。 4 あな額白きわが友が、 ひた走り入る湊江よ、 朝潮はやく打よせて 浪の音どよむ紀伊の海。 思ひ出れば天地の ふた別れせし當時や、 長すぐれたる山祇の 心驕りに睦まじと、 龍の宮女を携えて、 青うな原におりゆきし 大海神よ、とことはに 座あらそひの企みに、 胸のゆらぎの隙をなみ、 糟尾たけ髮蘆の花、 風のあらびにそそけては、 さすがに老の見えもすれ、 胸乳いままた張高に、 肩をあげては憤り、 また面構へくづをれて、 高笑する若やぎや、 なほ新代の一の座の 生挑には堪ふべけれ。 5 わが踝の近ほとり、 やまと國原ところ狹に、 世を營める人やから、―― 時のあらびの高浪に、 法も、掛想も、學藝も、 皆がら龕をこぼたれて、 よるべ無き身の今ながら、 ひと夜高根の風越に、 巣を失ひし鳶の鳥、 朝羽たゆげに幾度か、 古枝の空をゆきかへり、 はては峰越に遠山の 山ふところに飛び去りて、 また鳥塒ゆふ雄心の えは頽ほれぬ勢や、 襤褸素脚の樣にして、 荒野の路にかけめぐり、 胸座はたと敲きつつ、 「美しきもの甦へれ、 汝が世ふさへる高座の 礎ここにおかれぬ。」と、 空どよもしの聲ひびき、 げにいぢらしき人の子の 猛く尊きすがたかな。 6 この曙にめざめたる 吾世の幸のたぐひなさ、 八千歳ながき來し方の 古裝束を脱ぎすべし、 智慧と力に足らひたる 生命を繼がむ日よ、――この日、 法起菩薩と明王は、 頽廢堂をたちいでて、 木原した路眞くだりに、 麓の小野へ駈けおりて、 川邊づたひに磯濱の 波打際に去れよ、また 一言主は唯ひとり、 乾跡も見えぬ山峽の 懸路の亂れ、藤かづら、 躓きがちに行きすぎて、 朝暗ながき葛城の 古屋の洞にかへりゆけ。 われは明けぬる二の國の 光の海に身はぬれて、 天の柱とそそり立ち、 行きまどふらむ子の爲に、 朝日子高くさし示し、 人よ、かなたに、新代の 不壞の輝き、――無量光、 玉の顏ばせ現はれぬ 汝が乘物の轅をば そこにと許り教へばや。 7 ひねもす空の八衢に、 すべる車の煌の輪の 清きどよみを聞きながら、 吹息する夜は神祕の氣、 虹のごとくに花やぎて、 展くや、ここに大天の さかえ溢るる藐姑の山、 高き清きにあくがれて、 「いであ」の國に遊ぶ子ぞ、 正目にかかる常世べの かかる奇靈も仰ぎえて、 生身さながら白金の 御座にすがる醉あらむ。 8 ああわが丈よ五千尺、 脚は下なる野を踏みて、 頭は高く雲に入る、―― そのかみ闇のとろろぎの 二に別れたる初めより、 山と聳ゆる大悦を、 自然よ、君に捧ぐると、 今歳この春若やぎて、 どよみわたりぬ、金剛山。

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