妖魔『自我』

薄田泣菫

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一 妖こそ見しか、立枯の木繁き木原、 色鳥はさしぐむ路の奧ぶかに、 ひともと青木、木叢なる廣葉のかくれ、 黄金なす鈴生の實をなつかしみ、 熟みつはりたるひと房を摘みにし日なり、 矮人の黒染すがたつと見えて、 『あな許されぬ慧の實を、』と私語低に、 面隱し、目ぶかに被衣うちまとひ、 挊杖の音ほとほとと、木のした路を、 見え隱れ、鷺脚にこそ辿りしか。 二 妖こそ見しか、姫百合は木暗に俯居、 石楠花は日向に夢む花苑に、 あえかの人と相曳の日のしづけさを、 囁きは細蜂の羽とひるがへり、 うまし言葉は清酒の露としたみて、 醉心地、愛でのまどひを、――あな詫し、 生目とまりし苧垂の裾うちはへて、 木がくれに奧寄る人の後姿に、 頂がくる手は解けたるみ、ふくろ心の 氣をさむみ、身は物怖に竦まりき。 三 妖こそ見しか、午さがり日ぞ照りあかり、 美し香はほのかに薫ゆる新舘、 一の樂所にかきならす眞玉唐琴、 立樂の色音は浪のたかまりに、 心あがりの面ほでり、とりゆの半ば、 風流男や、紅顏孃子の間の座に、 異よそほひの長すがた、童男のひとり、 弱肩の藤衣のやつれに見惱ひて、 押手は梁のくづれ鮎さみだれ落ちて、 緒合せの調べの糸ぞなか絶えし。 四 妖こそ見しか、御燈の火はねむたげに、 華籠の花吐息かすけき古寺に、 夕座まゐりの在り人は罷りし夜はを、 身ぞひとり齋居精進の籠り居に、 思ひ恍けてし常世邊の、美し黄金の 嚴の苑、――天つ少女の相舞に、 見しは、頭白のねび御達、あな時のまに、 なよびかの姫は隱れて、唯ひとり 墳墓の如立ち殘るものわびしさに、 胸騷ぎ、つとまぼろしは覺めはてき。 五 妖こそ見しか、水無月の祭のひと日、 往き軋む飾車の山鉾に、 日ぞ照りしらむ日盛りの都大路を、 人なだれ、祭物見の大衆に、 また見ぬ、鈍の衣かづき、他こそ知らね、 不毛地の野にも往くかのうらびれに、 打附ごころ、小走りに追ふとはすれど、 物の怪は絶えずかなたに前ゆきて、 えこそ及ばね、足惱みぬ、ああ息詰むと、 道のべに、身ぞしだらなに倒れにし。 六 こよひ熱るる病臥の惱みのもなか、 世はとみに鴉羽いろの焔して、 蕩けたゆたふ火の海に、吾や落葉の、 左視右顧、ゆくへも知らぬ途すがら、 ふと遠方に目馴てし人がたち見て、 直みちに追ひすがりつゝ失聲して、 『君よ』と呼べば、立ちどまり、振向き樣に、 『見惱ひの時こそ來れ。』と脱ぎすべす 被衣のひまに見入るれば、あな『我』なりき、 驚駭に胸はふたぎぬ、危篤れぬ。

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