狂奔する牛

高村光太郎

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ああ、あなたがそんなにおびえるのは 今のあれを見たのですね。 まるで通り魔のやうに、 この深山のまきの林をとどろかして、 この深い寂寞の境にあんな雪崩をまき起して、 今はもうどこかへ往つてしまつた あの狂奔する牛の群を。 今日はもう止しませう、 画きかけてゐたあの穂高の三角の屋根に もうテル ヴエルトの雲が出ました 槍の氷を溶かして来る あのセルリヤンの梓川に もう山山がかぶさりました。 谷の白楊が遠く風になびいてゐます。 今日はもう画くのを止して この人跡たえた神苑をけがさぬほどに 又好きな焚火をしませう。 天然がきれいに掃き清めたこの苔の上に あなたもしづかにおすわりなさい。 あなたがそんなにおびえるのは どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて ものおそろしくも息せき切つた、 血まみれの、若い、あの変貌した牡牛をみたからですね。 けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獣性を いつかはあなたもあはれと思ふ時が来るでせう。 もつと多くの事をこの身に知つて、 いつかは静かな愛にほほゑみながら―― 大正一四・六

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