記事一章
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今は
(私は正しく書いて置く、)
一千九百十六年一月十日の
午前二時四十二分。
そして此時から十七分前に、
一つの不意な事件が
私を前後不覚に
くつくつと笑はせた。
宵の八時に
子供達を皆寝かせてから、
良人と私はいつもの通り、
全く黙つて書斎に居た。
一人は書物に見入つて
折折そつと辞書を引き、
一人は締切に遅れた
雑誌の原稿を書いて居た。
毎夜の習はし……
飯田町を発した大貨物列車が
崖上の中古な借家を
船のやうに揺盪つて通つた。
この器械的地震に対して
私達の反応は鈍い、
唯だぼんやり
もう午前二時になつたと感じた外は。
それから間も無くである。
庭に向いて机を据ゑた私と
雨戸を中に一尺の距離もない
直ぐ鼻の先の外で、
突然、一つの嚔が破裂した、
「泥坊の嚔だ、」
刹那にかう直感した私は
思はずくつくつと笑つた。
「何んだね」と良人が振向いた時、
其不可抗力の声に気まり悪く、
あわてて口を抑へて、
そつと垣の向うへ逃げた者がある。
「泥坊が嚔をしたんですわ、」
大洋の底のやうな六時間の沈黙が破れて、
二人の緊張が笑ひに融けた。
こんなに滑稽な偶然と見える必然が世界にある。
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