鴨
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鴨だ。鴨だ。鴨が
すべりあがる。おお、
大きいうねりの窪みから――
深い深い底の奥から、
もこりもこりと盛りあがる部厚な波、
そのうねりの阪へかかつた、揺り揺られて。
鴨の、なんと、
黄色い嘴だ、鮮かな、
横を向いて、
留る、と、高みきつたうねり波の峰が
飛沫ひとつ立てずに、広くなだれる。
平かに
はるばるとした世界が見える。
鴨はすべる。
すうつと落ちてゆく、大きいうねりの窪みへ、
風も無い穏かなうねりだ、尾羽根を立てて、
なんとまた、光つた
叡智の瞳。
鴨が、あつ、かくれた、
大きいうねり波に、さうして、
見えない向うの渓間にゐる
あの姿勢。――
わたしは直感する、
おそろしく冥い、冥い、動いてゐる
波の丘陵を透して、
全くの静謐、
虔ましい頬の紫。
鴨がまた、揺られて、
見えて来る、あ、出た、出た、
大きい、すばらしいうねりに乗つて来る。
「おうおう。」とでも呼びかけたい。
いいかたちで、浮んで。
ブラボウ、万歳。
鴨はまかせる。
大きいうねりの意志に。
はてしもない韃靼海のただなかだ、
小さい鴨の水掻、
ぴつたりとつけた胸毛の
燃えるやうな濃い青。
鴨は一羽だ。
北へゆくほど遠くなる日の光だ。
空の世界も寒いが、
雲は深いが、また、
波は光らぬ、
見わたすかぎり光らぬ波、
平かに平かに見えても、また、
そのじつ、
大きく大きくうねつてゐるのだ、晷つて。
鴨は啼かない。
まつたく黄色い嘴だ、さうして、
おお、おお、揺れてる、乗つてる、辷つてゐる、
小さい、整つた、
美しい、きつちりした
鴨の象、
箇の叡智、
ああ、一つの正しい存在。
あ、かくれた。向うへ落ちてゆく。
あ、出た出た。
ぴゆう――
指笛だ、俺のだ。
鴨はまかせる。
大きいうねりに坐つて
盛りあがる、盛りあがる、部厚な
底ぢからに揺られる。
鴨は開けてる、閑かな眼を。
劫初からの海、韃靼の寒空、
しかも、夏、夏、夏、
どちら向いても、
うねりの
絶間もないうねりの、
冥い、光らぬ、
おそろしく、また、穏かな、
波濤と波濤と波濤の連続。
ええ、ちきしょう、
鴨の尻、
夜が来る。夜が来る。
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