声なき国

北原白秋

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声もなき薄暮の国、 追憶のこなたなるほの暗き闇、 哀れ、さは冷けき世の沈黙、恐怖の木かげ、 何処より見ゆるともなく出て来し思の女 清らなる真素肌の身の独ほのかに暮るる。 声もなき国の白楊、 列長う両側に顫へわななき、 色青き蝋の火のほの暗みおびゆるごとく、 広きより狭み暮れゆく其果の遠き切目に、 仄かなる噴水の香ぞひとり密かに泣ける。 声もなき国のさかひに すすり泣くそのゆめよ、水のひとすぢ かすかにも色映り消えも入る吐息する時、 哀れ、さは光匂はぬ色もなく声もなき野に、 ただ寒う涙垂れ熟視めぬる女の思。 声もなき国のかなたは あかあかと色わかき追憶の空。 歓楽の楽の音よ、悩み添ふ甘き悲哀よ、 猛り狂ふ恋慕の夢の此方には聞えこそ来ね、 雲はただ昨のごと紅の色にただるる。 声もなき女の思、 熟視めつつ、ややにまた暮れもいためど、 ただ密に頼みてし噴水のにほひとだえて、 存命し悩の夢の曲節も見るによしなみ、 真素肌の身は悲し冷けき石になりゆく。 声もなき薄暮の国。 かくていま、追憶の空はあかあか、 血のごとも雲は顫へ楽の音の慄くなかに、 閃めくは聖体盒の香の曇、骨も斑らに 白白と浮びちり、あはれ早や沈み暈めく。

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