都會と屋根

室生犀星

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 私は活動寫眞がすきで、よく淺草へ出かけるが、いつでも妙に館内のはばかりの窓からぼんやり人家の屋根や往來の混雜した飮食店や小料理屋の二階などをながめてゐると、その濕つぽい屋根や道路などから、へんに一種いひがたい朦朧とした、いつか、其處の汚い飮食店のなかに坐つてゐたやうな氣もし、また乾くと埃で烟るやうな道路を暑い日に、それほどでもない用事のために疲れて歩いてゐたやうな氣もしてくるのである。  おそらく非常に疲れてゐて、そして絶えず陰氣にてくてく歩いてゐる姿が、いつも、そこの窓から小用を達しながら眺めるときに見えてくるのである。なぜか混線された家並や道路や荷車や小汚ない通行人や溝や柳や一品洋食店などが、うすぐらい私の生活にコビリついて、何時まででもさういふところを通つたり眺めたりするごとに、ふいに私を沈ませてくるのである。まだまだ、そこらの溝の匂ひの沁みた飮食店に、どうかすると、みすぼらしい私が左の頬肘をついて、勞れた目つきで鍋や皿や豚肉のならんだ小棚をながめてゐるやうに思はれるのである。  わけてもどうかすると、夕景などにその窓さきから、ななめに人家の屋根を射りつけた殘照の、へんに赤茶けた色あひを見ると、ますます氣が鬱みこんで、それをもとへ返すためには、かなりな時間がかかるのである。それゆゑ、私は淺草の裏通りをあるくことが厭である。が、まだあそこを通りもしなければならない氣もするし、そこの泥濘や潦の上に沁みた私のみすぼらしい黒ずんだ影が、はすかひに屋守のやうに落ちこんでゐるやうな氣がするのである。

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