往來で(『自分は見た』収録・同題第2篇)

千家元麿

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今日は曇つて居るが、その代り暖い 日のありかがよく解る 靄の中でそこだけ空が黄色くなつて居る 親切な日は出たがつて居るのが實によく分る。 どこかへ出ようとして靄の中を非常な勢ひで走つてゐる。 妻と小供と原へ行つてそれを眺める。 妻の手の明いたのが自分を元氣にして居る 久しぶりで用の無い身の幸福が味へる 原もいつもより美くしい。 すつかり姿が變つて居る。 枯れた芝が青々として居る。 霜溶け道はつくられた許りのやうに黒々と泥があれて居る。 すつかり冬仕度が出來た落着きがそこら一面にある。 もうこれで大丈夫と云ふやうに、日が出るのを待つて居る。 自分達は芝の上に離れ/″\に腰を下ろす 風も無いのに小供が 少し色のついた五厘紙凧を上げて居る。 自分の目の前で、フラ/\上つてはすぐ落ちる。 家に飼つてある支那金魚を思ひ出す 小さくて灰色で少し紅が交つてゐるのがよく似てゐる。 生きてゐるやうに紙凧は動く、動き方も似てゐる。 原の隅から見知ら無い白い犬が人戀しげに顏を出す。 妻が呼ぶと飛んで來てその足下にころがつてじやれる。 自分が立つとピヨイと飛びさがつて逃げて行く 子供は南京豆をもつて追掛けて行く 逃げ腰に下つた犬は原の隅の垣根の中へ入つてしまふ。 子供は默てトツトと引返して來る 犬は垣根から出て來て小供の居たところを嗅いでゐる。 原の裾の方で屑屋が籠を下ろして一人で紙を選んでゐる。 道の向ふのもう一つの原では大人が二人でボールを投げ合つてゐる。 玉がはづれて眞中にある古井戸へ落ちこんだ。 古井戸の周りには忽ち一杯人が集つた 皆んな覗いてゐる。 酒屋の小僧や自轉車乘の小僧や小供がゴチヤ/\高低になつてゐる。 首を動してはうしろをふり向く顏が見える 道を行く人は立止つて浮腰になつて迷つてゐる。 原の隅へ女の子がふくらんだうしろ姿を見せて家へ飛んで行く。 自分は妻と子供に別れて散歩に行く 電車に乘る。まるですいてゐる。 自分の前には厚着した上に水色の襟卷をした老婆が暖いので 供も連れずに遠くへ出掛けると見える。 車掌に乘替を切らしてゐる。 綺麗な可愛ゆい聲だ。 電車は坂を下りて行く 向ふから一杯荷馬車や荷車が高々と下りて來て通り過ぎる。 馭者臺に小僧が同乘して嬉し相に見渡して居る 學校がへりの袴をつけて少女が 思ひ/\の色のふろしき包みを片手の上にきちやんと載せて、 二三人づゝ連れ立つて來る 何か饒舌つてゐる。 みんな赤い顏を前に集めて覗き合ひ乍ら話して來る。 道行く人の眼はみんな同じ方向を向いてゐる。 黄ろい菊の束をもつた少女も通る。 黒いマントに白のゲートルの脛の長い學生も通る。 みんな青々として通る。力をもつて高々と通る。 歩いて行く者は凡て美しいと思ふ。 地面は之等の人や馬や車を載せてゆるく地辷りして來る。 電車は馬のやうに一氣に坂をのぼり切る。 坂の上の火藥庫の番兵も明るい顏をしてゐる 呑氣さうに見える。御じぎをして人が入つて行く。 番兵は見知り合ひと見える。一寸頭を下げる。 白いつゝみを脊負つた洗濯屋の小僧が立止つて門内を見てゐる。 番兵は暇さうに石甃の上を行つたり來たりしてゐる 鐵砲なんか捨てゝノコ/\往來に歩き出しさうだ。 然し筋向ひの西洋料理屋の門前の 少し日の當つた石の上に 顏は見え無いが未だ若相な女が 赤い帽子の赤ん坊を落ちないやうに窮屈さうに 腹をこゞめて帶を締め直して居る。 これからうんと歩く用心に その側に五つか六つ位の帽子も冠らない未だ頑是ない男の子が、 御母さんの方に體を寄せ乍ら、眼はボンヤリ往來を見てゐる。 親子とも汚ない風だ。 この寒中に白つぽくなつた水色の着物を着てゐる。 その代りやたらに重ねて着てゐる 無論持てゐるだけの着物を着てしまつてゐるのだ。 だがねんねこは無い、白い紐にぢかに子供を脊負つてゐる。 自分の眼には出しぬけに涙が湧いた 今迄のいゝ氣持はとんでしまつた。 何處へ行く女だ、 歩いてこの電車の果てまでももつと先きまでも行くのではあるまいか もう餘程遠くから歩いて來たのではあるまいか。 坂を上り切つたので疲れて息を入れてゐるのだ。 人を頼つて行くのではなからうか 男に棄てられた女か、夫に死に別れた妻か、 子供があつてどこでも働け無い女 子供は二人とも何もしらないのだ 御母さんの困つてゐる心は知らないのだ。 遊ぶ事は出來ずにあつちこつち連れて歩かせられるのだ。 自分は電車を下りようか 道には着飾つた女や男が通る 皆んな餘裕のあるニコ/\した顏をしてゐる 彼女のやうな女は一人も見當ら無い 兩側の店もあいにく立派だ。 この道は若い彼女にはつらい道だ。 しつかり赤ん坊を脊負つて下を見乍ら、 うしろについて來る小供の足を引ずらして、 泣き度くなるやうな小言を云ひ乍ら、 電車道を急いで行かなくてはならない。 一緒に歩いて遣つたらどんなにいゝか どこに彼女の夫はゐるのだ。 どこに小供の父はゐるのだ。 若しも亡くなつたのならきつと蔭身に添つてゐるのだらう。 頼つて行く人は親切に彼女を歡迎し相だ。 向ふの方には居さうな氣がする 人は幸福だ。青々して居る。 然し不幸な人がゐる以上 その人をそこまで引上げなくてはならない 力を與へ給へと祈つた。 乘り換へ場で下りた。 あとへ引き返へせば彼女に遇へる 『失禮ですがあなたは困つてゐるのではないのですか』と聞けばいゝ 返事に依つて何でもしよう 電車の片道切符を與へてもいゝ 子供へ菓子か蜜柑位與へる金は五六錢ある 金を與へるのが問題ではない 共力する事が出來ればいゝ 彼女の爲めに働いて遣る事が出來ればいゝ あゝ友達と二人で歩いて居たらば きつと心を合はして如何うとか出來る 電車が來た、自分は迷つた 紫色をした一羽の鳩が電車道の敷石へとび下りて歩いた。 鳩が彼女の方へ飛んだらば引返さう 鳩はどつちつかずの屋根へ飛び上つた 自分は人に紛れて電車へ乘つた。 幸福な人は青々と滿ち溢れてゐる。 如何うして多くの幸福が、不幸な人を生むのか。 (十二月一日)

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