三人の親子

千家元麿

タグを編集・提案

作品の主題・モチーフなど、対象に固有の情報を登録してください。年代・形式・表記・文学運動などの共通分類は登録できません。会員タグの追加と、正式タグの削除は、5人の支持で自動反映されます。

ログインするとタグの追加・削除を提案できます。

或年の大晦日の晩だ。 場末の小さな暇さうな、餅屋の前で 二人の小供が母親に餅を買つてくれとねだつて居た。 母親もそれが買ひたかつた。 小さな硝子戸から透かして見ると 十三錢と云ふ札がついて居る賣れ殘りの餅である。 母親は永い間その店の前の往來に立つて居た。 二人の小供は母親の右と左の袂にすがつて ランプに輝く店の硝子窓を覗いて居た。 十三錢と云ふ札のついた餅を母親はどこからか射すうす明りで 帶の間から出した小さな財布から金を出しては數へて居た。 買はうか買ふまいかと迷つて、 三人とも默つて釘付けられたやうに立つて居た。 苦るしい沈默が一層息を殺して三人を見守つた。 どんよりした白い雲も動かず、月もその間から顏を出して、 如何なる事かと眺めて居た。 然うして居る事が十分餘り 母親は聞えない位の吐息をついて、默つて歩き出した。 小供達もおとなしくそれに從つて、寒い町を三人は歩み去つた。 もう買へない餅の事は思は無い樣に、 やつと空氣は樂々出來た。 月も雲も動き初めた。然うして凡てが移り動き、過ぎ去つた。 人通りの無い町で、それを見て居た人は誰もなかつた。場末の町は永遠の沈默にしづんで居た。 神だけはきつとそれを御覽になつたらう あの靜かに歩み去つた三人は 神のおつかはしになつた女と小供ではなかつたらうか 氣高い美くしい心の母と二人のおとなしい天使ではなからうか。 それとも大晦日の夜も遲く、人々が寢鎭つてから 人目を忍んで、買物に出た貧しい人の母と子だつたらうか。 (一九一六、一二、三一夜) (以下五篇、生命の川所載)

ログインすると、この作品に自分だけに見えるメモを残せます。

批評・感想 0

作品から読み取ったことや、自分の中に生まれた感覚をまとまった文章で残す場所です。

まだ解釈・感想はありません。

三人の親子の談話

疑問や連想、ちょっとした読み方などを気軽に話せます。

まだ投稿はありません。

話題を投稿する

三人の親子に寄せられた作品

詩から生まれた翻案・イラストや、朗読・解説などの関連リンクを持ち寄れます。

まだ投稿はありません。

この詩に作品を寄せる