夕暮(『自分は見た』収録・同題第1篇)

千家元麿

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夕暮、日はもう沈んで 足の踏み場も無く 亂雜な地上となる。 何に躓くか分らない程暗く すばやく背景のとりかへられる 大きな劇場の内部のごとく 自分の胸は早鐘を撞き 不思議な譯のわから無い歡喜に燃えて歩む。 自分の腕の上には子供がゐる。 子供は自分の手の上から、地上に下り度くて もがくけれど 次々に忙しく變る景色に心を奪はれて之れも忘れ 小さな體の方向を手の上でくりくり更へて 黒眼を燃やし 餘りに近く行き交ふ人を眺め、それに交る馬や犬を見出して 天文學者が新しい星を發見したやうな奇妙な喜びに興奮して 自分に指し、叫んで、告げる。 天の一方には 久しく待れたものが滿願に達し 然かも惜し氣も無く成就されたものを燒き棄てるやうに 眞赤に燃えた巨大な雲の五六片が 亂雜に一つ所に積み重つて崩れ その前には今にも燃え移りさうに 數本の木立が明るい反射を受けて、はつきりとそよいで立ち 葉の落ち盡した枝や梢は白熱して 灰のごとくふるへつゝ眩ゆく輝き 燃え切ればくづれ落ちるごとく立ちつくし ずつと遠くには火の子のやうに彼方此方を星がとぶ 又見る、此方の青黒い原の上には いつの間に此處まで來たのか 恐ろしい速力を有つて 大きな金星が餘り眞近く來て 其處にぴつたりとゞまり 逸早く先驅者の使命を完うしたやうに 清い焔のやうな熱い息をついて搖れ返り 過度の勢ひで來過ぎたやうに 少しづゝ目だた無い樣にあとじさりをし乍ら 中心を保つてらん/\と澄み渡り その周圍の炎えるやうな空氣の中を 星を乘せて來て不用になつた魔法の翅の 雙ひ蝙蝠が 餘り遠くへ離れ無いで 地に觸れて盲のやうに夢中に歡喜して飛びめぐる。 又此方の原の上には 何處から出て來たのか 眞黒く焦げたやうな人影が 無數に入亂れ、高くなり低くなり、現はれ、消え 列をつくり 前に行く者をじれつたく思ふやうに追ひ越さうとしてのめり、 重り合つて急ぎ列を亂し、廻り道をして行く者もあり。 あらゆる方向に我れ勝ちに 不思議な力でいそぐ。 又此方の庭園の靜かな黒い木の間からは 忽然として大きな滿月が ほとんど地に觸れて 靜かにせり上り 早くも、黄色い暖い光りは 富める家の奧深い茂みを越して おしやべりに夢中で裏手の往來を行く 同じ年頃の氣の合つた四人の若い女工の 白い顏や地味な姿にはつきりと照りつけて 鳩の胸から出るやうな感嘆の聲を發さしめた。 かくして凡てのものが 何か完うする爲めに いそぎ、競つて 我れ勝ちに 神の速力をもつてその任務につく この夕暮の不思議な力よ かくして亂雜な背景はとりかへられ 騷ぎしづまれば 月も星も高いところにはね上り 天と地は整然とへだてられてしまふ。 (十一月二十三日)

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