冷たい夕飯

与謝野晶子

タグを編集・提案

作品の主題・モチーフなど、対象に固有の情報を登録してください。年代・形式・表記・文学運動などの共通分類は登録できません。会員タグの追加と、正式タグの削除は、5人の支持で自動反映されます。

ログインするとタグの追加・削除を提案できます。

ああ、ああ、どうなつて行くのでせう、 智慧も工夫も尽きました。 それが僅かなおあしでありながら、 融通の附かないと云ふことが こんなに大きく私達を苦めます。 正しく受取る物が 本屋の不景気から受取れずに、 幾月も苦しい遣繰や 恥を忘れた借りを重ねて、 ああ、たうとう行きづまりました。 人は私達の表面を見て、 くらしむきが下手だと云ふでせう。 もちろん、下手に違ひありません、 でも、これ以上に働くことが 私達に出来るでせうか。 また働きに対する報酬の齟齬を これ以下に忍ばねばならないと云ふことが 怖ろしい禍でないでせうか。 少なくとも、私達の大勢の家族が 避け得られることでせうか。 今日は勿論家賃を払ひませなんだ、 その外の払ひには 二月まへ、三月まへからの借りが 義理わるく溜つてゐるのです。 それを延ばす言葉も 今までは当てがあつて云つたことが 已むを得ず嘘になつたのでした。 しかし、今日こそは、 嘘になると知つて嘘を云ひました。 どうして、ほんたうの事が云はれませう。 何も知らない子供達は 今日の天長節を喜んでゐました。 中にも光は 明日の自分の誕生日を 毎年のやうに、気持よく、 弟や妹達と祝ふ積りでゐます。 子供達のみづみづしい顔を 二つのちやぶ台の四方に見ながら、 ああ、私達ふたおやは 冷たい夕飯を頂きました。 もう私達は顛覆するでせう、 隠して来たぼろを出すでせう、 体裁を云つてゐられないでせう、 ほんたうに親子拾何人が餓ゑるでせう。 全くです、私達を 再び立て直す日が来ました。 耻と、自殺と、狂気とにすれすれになつて、 私達を試みる 赤裸裸の、極寒の、 氷のなかの日が来ました。 (一九一七年十二月作)

ログインすると、この作品に自分だけに見えるメモを残せます。

批評・感想 0

作品から読み取ったことや、自分の中に生まれた感覚をまとまった文章で残す場所です。

まだ解釈・感想はありません。

冷たい夕飯の談話

疑問や連想、ちょっとした読み方などを気軽に話せます。

まだ投稿はありません。

話題を投稿する

冷たい夕飯に寄せられた作品

詩から生まれた翻案・イラストや、朗読・解説などの関連リンクを持ち寄れます。

まだ投稿はありません。

この詩に作品を寄せる